2017年1月の記事一覧
縄跳び記録会に向けて
↓ まぶしい太陽。そして、真っ青な空。校庭には昨夜の雪が残っていて真っ白です。風も強く吹いています。
「みなさん、体育館で縄跳びの練習をしましょう。」陸上部の声かけで、子供達は、2月10日に行われる縄跳び記録会に向けて、縄跳びで体力作りです。本日配布される縄跳びカードを使って、昨年の自己記録をもとに新たな自己目標を設定して、これから約1ヶ月練習に励みます。がんばろう!!
↓ 練習時間は、7時55分まで。登校した子供達は、ぞくぞく体育館に集まり、練習。
ハヤブサの得意な6年生のEさん、うしろハヤブサまでこなす6年生のSさん、是非その技を後輩に伝授してください。
冬休み後全校集会
↓ 2017年 全校朝会 校長の話
2017年、平成29年 新年明けましておめでとうございます。
2017年は、6年生は中学生になる年、5年生から1年生は、それぞれ一つずつ学年が上がる年です。今まで知らなかった人と出会ったり、今まで経験したことが無いことを経験したりする事でしょう。今年は、酉年です。鳥のように大きく飛躍する年にしてほしいと思います。皆さんの心も、体も、頭も、ぐーんと成長する事を願っています。 さて、新年にあたり一つの作文を紹介します。
「夢に向かって」 N高等学校3年 SR
間もなく3月11日がやってくる。早いもので、あれから6年が経つのだ。東日本大震災―もう二度と経験したくない災害だ。「家に帰れるの?家族は無事なの?」当時、小学6年生だった私は、自分なりに、できる限りのことを考えた。家に帰り、家族が無事なことにほっとしたけれど、日中も一人でいるのが怖くて、兄や祖父母のそばをはなれなかった。夜も余震が続くため緊急時に備えてみんなで並んで眠った。怖かったが家族がいることで安心した。家族の大切さを痛感した。私は、小さいころからあまり学校が好きではなく、できれば休みたいと思う子どもだった。学校が嫌いなわけではないが、家にいるほうが好きだった。しかし、学校にいけない日が続いたため、さすがに学校に行きたいと思うようになった。友達や先生に会いたいと思った。毎日練習していた卒業式はどうなるのだろう。といった気持ちも出てきた。自分でも不思議だった。地域の施設で「卒業を祝う会」を行うと分かった時は、本当にうれしかった。原発事故で避難していた友達もいたために、全員揃うことはなかったが、久しぶりの再会にみんな笑顔だった。東日本大震災のせいで、ゆっくり卒業を祝う時間は無くなってしまったが、あの混乱の中で「卒業を祝う会」という形にして、私たちの卒業という節目を祝ってくださった先生方に感謝の気持ちでいっぱいだった。
人間は恵まれているときは、気づかないことが多いものだと初めて知った。大きな災害で気づかされるなんて皮肉なものである。家族は、心の支えであり、どれだけ大切なのかを実感した。また、学校は、自分に目標を持たせてくれる場所であり成長できる場所なんだと気づかせてくれた。
あれから、6年。原発事故の影響で、活動の制限は多少あったが、中学校生活を楽しく過ごすことができた。そして、それなりの挫折も味わった。
今、自分の進路を決めていかなければならない時期になり、私は、人の役に立つ仕事をしたいと思うようになった。人と関わりながら、何か人の役に立つ仕事はないかと考えるようになった。その中の最有力候補として私の心の中に浮かんだのが「教師」である。自分でも不思議だが、好きでなかったはずの学校を働く場所として選んでいた。当たり前に学校に行くことができていたら考えなかったかも知れない。東日本大震災の時に行きたくても行けなかった学校の存在、学校という場所の大切さがわかったからである。友達がいて、先生がいて、同じようだけれど、違っている毎日。様々な人が集う場所だから、いろいろな事が経験できる。自分に目標と刺激を与えてくれる大事な場所が学校なのである。 まだ、漠然とであるが、教師を目指して進みだした私は、夢を達成できるようにと自分なりに頑張っている。決して優等生ではなかった、学校嫌いの私だったからこそ、伝えていけることがあるのではないかと考えている。もし、夢が実現したならば、東日本大震災を通して学んだ自然災害の恐ろしさとそれに伴って知ることができた人の温かみや家族の大切さ、友達や学校の存在、楽しさなども伝えていきたいと思う。勉強は大変だが、そんな気持ちを持てたことが、頑張るエネルギーになっているのだと思う。あの日、味わった恐怖と不安は、今、将来の夢をかなえる力へと変わったのだ。(震災当時当時、T小学校6年)
Sさんは、今、「人の役に立つ仕事に就きたい。」「人の役に立つ人間になりたい。」ということで、「教師」になることを夢として頑張っています。夢を持つことが頑張るエネルギーになっていると言っています。私は、この作文を読んで、Sさんは素晴らしい人だなと思いました。Sさんを応援したいなと思いました。皆さんもSさんのように、将来人の役に立つ人間になれるよう夢をしっかり持って頑張ってほしいと思います。これで、話をおわります。
その後、明日から始まるフッ化物洗口について養護教諭から子供達に説明がありました。フッ化物洗口の目的、そして、これは、それぞれお家の方のお考えで実施する子、実施しない子がいると言うことなどです。 詳しい実施方法については、各学級でそれぞれの担任から説明し実施していきます。
今日から後期後半52日がスタートです。
↓ 今日の瀬川小学校。 太陽が輝き、青空に包まれてとてもさわやかです。校庭には氷が張っていました。
↓ 朝の学級活動の様子です。冬休みに読んだ本を返したり、宿題を提出したり、久しぶりに会う級友と話しをしたり・・・。みんなとてもいい顔をしています。
さあ!3月23日の修・卒業式まで52日しかありません。一日一日大切に、「チーム瀬川」力を合わせて頑張っていきましょう。
今日も穏やかな日です。
↓ 午後1時の瀬川上空。(おもしろい表情の雲です。)
↓ 今日の瀬川小学校と移ヶ岳。移ヶ岳には、雪が残っています。
冬休みもいよいよ残すところ、7,8,9日の3日間となりました。10日からは、いよいよ後期後半52日のスタートです。ベストコンディションで登校してください。
教職員は、6日、13:00現在、冬休み明けの教育活動についてチーム会議中です。
↓ 学習指導チーム、生活指導チームに分かれての打合せ中
吉野先生からの年賀状(鬼百合の咲く出作り小屋)
↓ 今日の瀬川小学校。昨日と様子が全く違います。大きな雲が上空を流れていきます。
さて、昨日、彫刻家の吉野ヨシ子先生から年賀状が届きました。吉野先生は、田村市の出身で市役所のモニュメントを作成された方です。本ホームページの2015年10月19日の記事には、吉野先生と浦山先生、お二人の彫刻家の先生のご指導による「親子芸術教室」の様子が掲載されています。
↓ 2015年10月19日「親子芸術教室」の様子(みんな素晴らしい作品を作りましたね。)
いただいた吉野先生の年賀状によると、先生は、奥会津の檜枝岐の出作り小屋を購入し、そこを作品を展示するギャラリーにするため準備をしているそうです。
↓ 吉野先生の年賀状(赤い丸で囲んだところが「出作り小屋」)
年賀状を読んで、まず「出作り小屋って何だろう?」という疑問が湧いてきました。「出作り」じゃなくて「手作り」の間違いでは?と思いました。調べてみると、「出作り小屋」とは、こんな建物でした。
「出作り小屋」・・・・・
檜枝岐村の農家には、自宅から遠い農地を耕作するために仮住まいとなる小屋を作り、農業を行った歴史がある。雑木を切って小屋掛けした簡単なものから、長く使うために普通の家と同じように建てた小屋までその様子はさまざま。かつては、数十棟もあったと言うが、車などの普及により今は、吉野先生、浦山先生の購入した1棟のみとなってしまった。
(東京新聞、福島民友の記事を元に記載)
年賀状には、さらにこんな事が書かれていました。「今年は、檜枝岐村出作り小屋の鬼百合を蘇らせるため萱葺き屋根の復元に取りかかります。」 なんと、出作り小屋は、萱葺きの屋根であり、そして、そこには鬼百合が咲き誇るというのです。年賀状の写真を見ると確かに屋根の上に赤っぽい花が咲いています。さらに、続きます。
6月・・水芭蕉 7月・・ニッコウキスゲ 8月・・イワナ釣り 9月・・鬼百合 10月・・紅葉
皆様遊びにお越し下さい。 とても楽しい、そして夢のある年賀状でした。春になったら、是非足を伸ばしてみたいと思います。
↓ 出作り小屋のかやぶき屋根に咲くという「鬼百合」
〒963-4436
福島県田村市船引町新舘字軽井沢746
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