瀬川っ子 頑張っています!

2015年8月の記事一覧

花丸 田村地区音楽祭「金賞」受賞!

 本日、田村市文化センターに於いておこなわれました田村地区音楽祭におきまして、瀬川小学校特設合奏部は、見事金賞に輝きました。県大会出場権獲得です。なお、県大会は、10月22日(木)福島市音楽堂にて行われます。子どもたちのこれまでのがんばりと保護者の皆様、地域の皆様の温かいご支援に感謝いたします。子どもたちは、これから、アンサンブルコンテストの録音やTBCのコンクール、そして、県大会に向けてさらに練習を積んでいきます。これからもご支援よろしくお願いいたします。


 
 
 そして、子どもたちの活躍を支えたのは、保護者の皆さんの温かい応援でした。
  

虫眼鏡 校長の自由研究⑧(石沢の神社、三匹獅子舞)

 瀬川小学校区で最も移地区に近い所にある石沢地区。ここにもすばらしい文化財があります。ここへ行くには、通常、県道50号線を行きますが。面川さんの案内で、新舘曲山地区より山道を通って石沢地区に入りました。農作業等で普段から使われる道ということで舗装はされていましたが、この道に慣れていないと対向車とすれ違う事も難しいのではないかと思われるほどの細い道でした。新舘地区と石沢地区を結ぶ国・県道以外の道路があることも新鮮な驚きでした。 その石沢地区には、熊野神社と鹿島神社が一つの社にまつられています。
 
 神社近くで畑仕事をしていた地域の方が、「この神社の彫り物は、すばらしいよ。」と話してくださいましたが、なるほど、立派な彫り物を社の正面に見ることができます。

熊野神社と鹿島神社の由来については、鳥居手前の説明板に書いてありました。

 これによると、熊野神社がこの地にまつられるようになったのは、延暦年間(782~805)の説と元永年間(1118~1120)の説があるようです。二つの説には、時間的に随分開きがありますが、いずれにせよ大きい区分でいうと、奈良時代末から平安時代ということになります。鹿島神社は、大同2年(807)に石沢字宮ノ脇地内にまつられていたものを明治の神合祀の布達によりこの地に遷し、熊野神社と鹿島神社として並祀されるようになったということです。熊野神社は、石沢村小田の住人本田太郎左衛門が紀伊国(現・和歌山県)より、鹿島神社は石沢村住人本田孫市が常陸国(現・茨城県)より、それぞれ石沢の地に祀ったものということです。また、参道には、二本の大杉をみることができます。これは、慶長元年(1596)年に植樹されたものといわれ、福島県緑の文化財に登録されているということです。
 
(県の「緑の文化財」に登録されている樹齢420年ほどの二本の大杉「熊野杉」と鹿島杉」)
 
 尚、石沢地区には「三匹獅子舞」が受け継がれており、熊野・鹿島神社の秋季例大祭で奉納されます。三匹獅子舞がいつ頃伝わったかはっきりとはしませんが、江戸時代後期に杉沢(現・二本松市岩代町杉沢)から習い請けたといわれています。瀬川小学校の子どもたちも、地区の方々(師匠とよばれる方々)から獅子舞を習い、この神社の境内で舞を奉納します。この「三匹獅子舞」は、平成17年4月18日に田村市指定無形民俗文化財になっています。子どもたちの獅子舞の様子は、秋に本ホームページで紹介したいと思います。

花丸 ミニ発表会(合奏部)

 田村地区音楽祭を明日に控えて、校内でミニ発表会を行いました。
 
 発表会には、先生方や陸上部の子どもたちが集まりました。
 合奏部一人一人から明日の音楽祭に向けての抱負の発表がありました。

(抱負を発表する合奏部長)

その後、すばらしい演奏を聴きました。


演奏を聴いた後は、陸上部一人一人から感想を発表した後、陸上部長から激励の言葉がありました。

(激励の言葉を述べる陸上部長)
 
 「人事を尽くして天命を待つ」
 悔いのないよう精一杯演奏してきて欲しいと思います。

虫眼鏡 校長の自由研究⑦(古室神社と王寺神社)

 門鹿地区には、「古室神社」と「王子神社」が、同じ場所に並んで建っています。
これが、「古室神社」です。

 社の正面には、見事な彫刻がなされています。ここは、安産を祈願する神社ということです。色鮮やかな布で作られた枕が奉納されているのが分かります。安産祈願に来た方がここから枕を借りて行き、無事出産後は、新たな枕を奉納するということです。社の中の天井には、絵が描かれており、また、母親が赤子にお乳をあげる様子を描いた絵馬なども奉納されていました。

 
 隣には、王子神社の社が建っています。

 この王子神社には、算額が奉納されており、社の隣には、田村市教育委員会が建てた算額についての説明看板がありました。

 この看板によると、ここに奉納されている算額は、平成17年4月18日に田村市指定民俗文化財となっています。以下、書かれている内容をまとめて記載します。
・ここに奉納されている算額は天保10年(1839年)夏の奉納で船引町内では一番古い物である。
・奉納者は、門鹿村(現 田村市船引町門鹿)の箭内清融である。
・箭内清融は、佐久間庸軒の父である佐久間質の門人であった。
・佐久間質の門下に入ったのは、天保6年(1835年)12月8日。
・箭内の算額の奉納は入門後3年目であり、門人の中でも優れた存在であった。
・箭内清融は、同じ年に東和町の木幡山辨財天神社にも算額を奉納。
・東和町の算額には、「天保10年春」とあることから、王子神社の算額と対をなす物と考えられる。
 
 残念ながら、王子神社の算額は、写真に撮ることはできませんでしたが、興味のある方は、検索サイトで「王子神社 算額」と検索してみてください。画像を紹介しているページがあります。また、2つの神社の境内には、大倉神社と同じく神楽殿が建っています。
 
 参道には、ホトトギスという美しい花も咲いていました。(名前を面川さんに教えていただきました。)

花丸 今日も課外活動がんばっています。(合奏・陸上)

 今日も、朝早くから、課外活動の練習に励んでいます。
 合奏部は、今週末の音楽祭に向けて、今日は、1日中練習です。今日も、4年前まで顧問だった大室先生が来てくださいました。

 大室先生を間に、マリンバ担当の2人がなにやら打合せをしています。
 
  本番を間近に控え、すてきな演奏に仕上がって来ています。

 一方、陸上部もお盆明け2日目の練習です。
 まずは、基本の動きを練習します。

 続いて、ダッシュ!!前傾姿勢がカッコいいです。

 持久走も・・・

そして、走り幅跳びです。
  

虫眼鏡 校長の自由研究⑥(門鹿の蛇盛塚と紫川)

 国道349号線を船引方面から福島方面に向かう途中、門鹿(かどしか)地区があります。コンビニ セ○ン○レ○ンの交差点の左側に「蛇盛塚のしだれ桜」という看板が見えます。

 蛇の嫌いな私は、なんだか気になる看板でした。この看板に従って進むと、個人のお宅に入ってしまうのではないかという直前に見事な桜があり、石碑が建っています。
 
 これが「蛇盛塚のしだれ桜」です。春には見事な花を咲かせ、桜の名所となっています。夜は、ライトアップされ昼とは違った美しさを見せてくれます。こんなすばらしい桜の場所になぜ「蛇盛塚」などという名前がついたのでしょう。その由来が、隣りに建つ石碑に記されています。

「蛇盛塚としだれ桜の由来」と題された石碑には、次のように記されています。
『言伝えによると西暦830年頃(天長年間)鹿又字舘地内を曲流する流水を稲田に導くための工事を行った。それは、至難の工事である為、村を挙げてその役に従事し漸く工事の完成を見る頃 この地に巣くっていた大蛇を発見 数十人でこれを退治したといわれ、この大蛇の胴体からの血潮が川水に混じると紫色の川となり七昼夜にわたりこの川下を紫色に染めて流れ、人々はこの川を紫川と呼んだという。この大蛇の頭は、川を流れに流れ、この川下一里余門鹿の樋の口に流れ着き門鹿住民がこれを拾い上げ、幕の内地内に葬った (中略)
それがこの蛇盛塚(通称 蛇盛稲場)である。(中略)また、桜は、西暦1870頃(明治初期)飛田家の祖先が三春滝桜の地より求めこの蛇盛塚に植樹した (後略)』

 この説明をまとめると・・・・
 ・平安時代の初期に、鹿又字舘地内(現 美山小学校学区)において、川より稲田に水を引く大工事を行った際に大蛇が現れ、数十人の村人によって頭を切られ退治された。
 ・大蛇の胴体から出る血潮により7昼夜にわたり川が紫色に染まった。以来、この川は、「紫川」と呼ばれるようになった。
 ・大蛇の頭は、川下の門鹿地区(現 瀬川小学校学区)の樋の口(といのくち)まで流れ着きそこで住民によって葬られた。これが「蛇盛塚」である。
 ・桜は、明治時代に入ってから、飛田氏が三春町より苗を求め、この塚に植樹した。
 
 美山小学校の北側、移ヶ岳の登山口付近は、紫川の最上流にあたる場所で、大蛇伝説の元となった場所です。大蛇伝説と紫川の由来、蛇盛塚の由来について記載された看板が立っています。
 
写真:(大蛇伝説,紫川の由来,蛇盛塚の由来について書かれた看板)(紫川の源流)

 瀬川の学区には、今も「紫川」が流れています。
 
 

ハート 今日の瀬川小学校(午後)

 午後は、合奏部の練習です。市の音楽祭を今週末に控えて、いよいよまとめの時期に入ってきました。今日は、昨年度まで3年間、特設合奏部を指導してくださっていた沢先生が、指導に来てくださいました。4年生以上は、昨年度までお習いしていた先生です。なんとなく懐かしさを感じながら、また、先生のユーモア交えた指導に笑顔いっぱいの練習となりました。
 沢先生!お忙しい中ご指導ありがとうございました。
  

ハート 今日の瀬川小学校(午前)

 8月18日(火)、午前中・・・・昨日と比べ、若干暑い日となりました。

 校舎の上空には、巻雲(絹雲)が・・・・秋の雲ですよね。

 花壇には、初雪草の白がサルビアの赤と絶妙のコントラストを見せてくれています。

 陸上部の練習も開始です。

花丸 先生方が応援してださっています。

 合奏部は、13日~16日の4日間の休みが明けて、今日は、朝から1日中練習をがんばりました。午前中は、昨年度までご指導いただいた安生先生が、午後は、4年ほど前に瀬川小学校特設合奏部の顧問だった大室先生が来校されご指導・激励をいただきました。瀬川小学校を去られてた今でも、瀬川小学校合奏部を気にかけていただいていることに感謝の気持ちでいっぱいです。明日は、やはり昨年度までご指導いただいていた沢先生にご指導いただきます。
 
 そんな合奏部の練習している横には、子どもたち一人一人のがんばりたい事がかかれています。

いくつか、紹介します。
 

虫眼鏡 校長の自由研究⑤(大倉の太々神楽)

 大倉神社秋季例大祭では、神社境内にある神楽殿で神楽舞が奉納されます。 
 
    (大倉神社境内にある神楽殿)
 大倉の太々神楽は、平成17年4月18日に「田村市指定無形民俗文化財」に指定されています。以下、田村市教育委員会により掲げられた説明書きより引用します。
 
 田村市指定無形民俗文化財
 大倉の太々神楽
 由来等
  大倉の太々神楽は大倉神社秋季例大祭に境内の神楽殿で奉納されています。江戸時代後期、神楽の師匠として活躍した國分大隅(神社の西側に顕彰碑が建っています)が大倉神社の神職に就いていたことが縁で、村人たちに神楽を教えたのがその始まりとします。演目は「小神楽」・「大神楽」の合わせて三十六座を伝えますが、県内でもこれほどの演目数を伝えるところはそうはなく、また出雲流神楽の古風な姿を良く継承していることからも、その価値は高い物といえます。保存会が熱心に後継者育成に取り組み郷土の貴重な芸能を守っています。 ( 田村市教育委員会)
  
               (教育委員による説明書きと國分大隅の顕彰碑)

   瀬川小の子どもたちもこの神楽を地域の方よりご指導いただき、舞っています。そして、9月6日(日) 12:00開場、13:00開会で須賀川市文化センター大ホールで行われる「第54回 福島県芸術祭開幕行事」において、神楽舞を披露いたします。是非、足をお運びいただきご覧ください。


1 第54回福島県芸術祭開幕式典・開幕行事について

   本年度の芸術祭は、須賀川市の開幕行事を皮切りに90の行事が県内各地で催され
  ますので、是非御覧いただく とともに、参加体験されてはいかがでしょうか。
  皆さんの御来場をお待ちしております。

   ◆ 開催月日 平成27年9月6日(日曜日)  13時00分~16時00分 
   ◆ 開催場所 須賀川市文化センター大ホール

      (住所:須賀川市牛袋町11 電話:0248-76-7777) 
   ♣    開幕式典  13時00分~13時30分
   ♣    開幕行事  13時40分~16時00分                          
     《  出演団体:7団体(出演順) 》  
      ア:浅川地雷火太鼓(浅川町)    イ:論田獅子舞保存会(古殿町) 
         ウ:大倉太々神楽保存会(田村市) エ:桜正会(鏡石町)       
         オ:K.M.C合唱団(郡山市)     カ:駒形念仏保存会(平田村)
         キ:須賀川市立第一小学校マーチングバンド部(須賀川市)         
 
 お問い合わせ先 須賀川市教育委員会 文化・スポーツ課 ℡ 0248-88-9172
    ( 福島県ホームページより)