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虫眼鏡 校長の自由研究⑥(門鹿の蛇盛塚と紫川)

 国道349号線を船引方面から福島方面に向かう途中、門鹿(かどしか)地区があります。コンビニ セ○ン○レ○ンの交差点の左側に「蛇盛塚のしだれ桜」という看板が見えます。

 蛇の嫌いな私は、なんだか気になる看板でした。この看板に従って進むと、個人のお宅に入ってしまうのではないかという直前に見事な桜があり、石碑が建っています。
 
 これが「蛇盛塚のしだれ桜」です。春には見事な花を咲かせ、桜の名所となっています。夜は、ライトアップされ昼とは違った美しさを見せてくれます。こんなすばらしい桜の場所になぜ「蛇盛塚」などという名前がついたのでしょう。その由来が、隣りに建つ石碑に記されています。

「蛇盛塚としだれ桜の由来」と題された石碑には、次のように記されています。
『言伝えによると西暦830年頃(天長年間)鹿又字舘地内を曲流する流水を稲田に導くための工事を行った。それは、至難の工事である為、村を挙げてその役に従事し漸く工事の完成を見る頃 この地に巣くっていた大蛇を発見 数十人でこれを退治したといわれ、この大蛇の胴体からの血潮が川水に混じると紫色の川となり七昼夜にわたりこの川下を紫色に染めて流れ、人々はこの川を紫川と呼んだという。この大蛇の頭は、川を流れに流れ、この川下一里余門鹿の樋の口に流れ着き門鹿住民がこれを拾い上げ、幕の内地内に葬った (中略)
それがこの蛇盛塚(通称 蛇盛稲場)である。(中略)また、桜は、西暦1870頃(明治初期)飛田家の祖先が三春滝桜の地より求めこの蛇盛塚に植樹した (後略)』

 この説明をまとめると・・・・
 ・平安時代の初期に、鹿又字舘地内(現 美山小学校学区)において、川より稲田に水を引く大工事を行った際に大蛇が現れ、数十人の村人によって頭を切られ退治された。
 ・大蛇の胴体から出る血潮により7昼夜にわたり川が紫色に染まった。以来、この川は、「紫川」と呼ばれるようになった。
 ・大蛇の頭は、川下の門鹿地区(現 瀬川小学校学区)の樋の口(といのくち)まで流れ着きそこで住民によって葬られた。これが「蛇盛塚」である。
 ・桜は、明治時代に入ってから、飛田氏が三春町より苗を求め、この塚に植樹した。
 
 美山小学校の北側、移ヶ岳の登山口付近は、紫川の最上流にあたる場所で、大蛇伝説の元となった場所です。大蛇伝説と紫川の由来、蛇盛塚の由来について記載された看板が立っています。
 
写真:(大蛇伝説,紫川の由来,蛇盛塚の由来について書かれた看板)(紫川の源流)

 瀬川の学区には、今も「紫川」が流れています。