2016年3月の記事一覧
校舎の中の神様
【靴箱の神様(くつをきちんとそろえられるように)】
【職員室の神様(先生方が気持ちよく仕事ができますように)】
【トイレの神様(後の人が気持ちよく使えるように、履き物もそろえられるように)】
【体育館の神様(みんなが安全に運動し、体力も運動能力も高まるように)】
震災から5年・・・。
さて、今日は3月11日、あの震災から5年の年月が経ちました。くしくも今年は平成23年3月11日と曜日も同じ金曜日です。当時も瀬川小学校に勤務していた職員から、その時の様子を聞いてみました。
地震の起きた14時46分、1,2年生は帰りの会を終えて、帰る準備もすっかりできている時刻でした。(当時の1年生は、現在の6年生です。)その他の学年は、帰りの会の真っ最中でした。大きな揺れとともに西校舎と東校舎を結ぶ二階通路の支えが外れ、通行ができなくなり、体育館のガラスが次から次に割れていきました。雪も降り出しました。校庭に避難した子供達。3年生以上は、上着も着ていません。寒さと恐怖で泣き出す子もいました。教職員が、余震の合間をぬって子供達の上着や道具を運び出しました。そして、子供達は、家の人が迎えに来るまで、教職員の車の中で暖をとったりしながら過ごしました。その年の卒業式は、3月31日に卒業生、保護者、教職員のみで実施されました。
その後、瀬川小学校は、この5年の間に大規模改修を終え、ほぼ、通常の教育活動ができるまでになりました。これも、保護者の皆様、地域の皆様、関係機関の皆様のご尽力の賜と感謝いたします。
しかし、県全体を見ると、復興はまだまだ、まだまだ道半ば。多くの方々が苦しみの中にいることを忘れずに、みんなが幸せに暮らせる日まで力を合わせていかなければなりません。
今日は、そんな決意を新たにする日です。
現在、各教室では5校時目の授業が行われています。「東日本大震災に学ぶ授業」という事で、道徳や総合的な学習の時間の中で、震災について学んでいます。私たち大人にとっては、つい最近の出来事のようですが、低学年の児童にとっては、記憶も確かでない出来事です。
この後、14時46分には、1分間の黙祷を行う予定です。
職員が自宅から持って来てくれた桃の花がとてもきれいに咲いたので写真を掲載します。
卒業式に向けて,心一つに・・・。
ところが・・・・そんな寒さの中ですが・・・・待っていた紅梅が一輪咲いていました。美しいです。これから、どんどん咲いてくれるでしょう。見頃になったら又、写真を掲載します。
子供達はと言うと、3校時目に卒業式の全体練習を行いました。現在インフルエンザ3名、かぜひきの子も見られると言うことで、マスク着用の練習となりました。みんなで力を合わせて、心のこもった卒業式にしたいと思います。
昨日までと打って変わって・・・
さて、職員室の後の場所で向かい合って給食を食べている2年生と3年生。スマイル放送委員会のメンバーです。6年生の指導を受けながらお昼の放送の仕方を勉強中です。写真は、放送を終えて達成感を感じながら給食を食べている様子です。他の委員会でも6年生が残された期間、一生懸命後輩に委員会の仕事を教えてくれています。そして、2~5年生も委員会の仕事をしっかり引き継いで行こうとがんばっています。全員が主役の瀬川小学校です。(活動の様子は、後日お知らせいたします。うっかりして、写真を取り損ねてしまいました。)
消防協力者認定証交付式
今年最後の外国語活動
中でも、レイチェル先生、カーリー先生は、今年度限りで帰国すると言うことです。これまでのご指導に心より感謝いたします。
私たちの将来の夢
さて、教室を回っていると、6年生教室で楽しい作品を見つけましたので紹介いたします。
将来、希望の職業に就いた自分の様子を表した作品です。何の職業かなと想像しながら見て下さい。(ちなみに最初の3作品は、養護の先生、IT社長?、野球選手といった具合です。)
一人一人が目標を達成できるよう応援します。でも、先日、吉岡先生から教えていただいたように、何事も、自分がその気にならなければ達成できません。その気になって努力することが夢に近づくための必要条件であること忘れないで欲しいと思います。
インフルエンザが流行っています。
ご家庭でも、以下のことをお願いいたします。
1 帰宅後や食事前の手洗い・うがい。
2 微熱や咳など、かぜの症状がある場合は、無理をしないで学校を休む。
3 ご家族にインフルエンザやかぜの症状の方がいる場合、登校前にお子さんの熱を必ず
測る。
4 ウイルスに負けないよう栄養と睡眠を十分にとる。
5 登校時のマスク着用。
6 インフルエンザの疑いがある場合は、早めに医療機関を受診する。インフルエンザの薬
は、早い段階で服用することが有効。
7.インフルエンザは出席停止です。学校にご連絡ください。
インフルエンザの出席停止の日数は、発症した後5日を経過し、かつ、解熱後2日とな
ります。 (本日発行の「ほけんだより」より抜粋)
暖かい日です。
昨日も暖かかったので、楽しみにしていた紅梅が咲いたかなと思って見てみましたが、まだでした。でも、つぼみが随分色づいて来ました。
校庭脇の福寿草、白梅は、今が盛りです。
少しずつ、卒業式の準備が始まりました。今週末、11日は、中学校の卒業式です。
瀬川村道路元標
学校近くにお住まいの佐々木様が来校された折に、「瀬川村道路元標」なるもののお話をお聞きしました。勉強不足でいったいなんの事かよく分からなかったので調べてみました。
まず、「瀬川村道路元標」のある場所ですが、瀬川小学校の近く、国道349号線と県道50号線が交わる三叉路に立っていました。縦30cm、横30cm、高さ70cmほどの石柱です。
では、「道路元標」というのは一体何なのでしょう。時代は、大正にさかのぼります。大正8年に道路行政の基本法としての道路法(大正道路法)が制定され、翌大正9年4月1日から施行されることとなりました。この法令には、「道路元標ハ各市町村ニ一箇ヲ置ク」とされ、これにより当時の瀬川村にも「道路元標」が建てられたものと思われます。大正11年には、全国に12,315の市町村があったと言うことですから、全国で1万2千余りの道路元標が建てられたと言うことになります。 調べて見ると、近くでは瀬川村の他、移村、芦沢村、美山村、滝根村、都路村の道路元標の存在も確認できました。
そして、この道路元標と道路元標の間を結びながら日本という国土に道路を敷設しようとする作業が始まりました。これはやがて、国道2000里、府県道2万1800里(国道は大正9年、府県道は郡道処分後の大正15年、いずれの数値も当時の新聞報道より)の道路網となって日本全国をカバーすることになったという事です。
「瀬川村道路元標」、佐々木様よりお話を聞かなければ全く気にも留めていなかった存在でした。歴史を伝える大切な遺産です。交通量が多く、ゆっくり見ることはなかなか難しいかもしれませんが、近くをお通りの際は、存在を確認してみてください。子供達にも機会を見つけて伝えていきたいと思います。
〒963-4436
福島県田村市船引町新舘字軽井沢746
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