瀬川っ子 頑張っています!

虫眼鏡 瀬川村道路元標

 学校近くにお住まいの佐々木様が来校された折に、「瀬川村道路元標」なるもののお話をお聞きしました。勉強不足でいったいなんの事かよく分からなかったので調べてみました。

 まず、「瀬川村道路元標」のある場所ですが、瀬川小学校の近く、国道349号線と県道50号線が交わる三叉路に立っていました。縦30cm、横30cm、高さ70cmほどの石柱です。
  
 
 では、「道路元標」というのは一体何なのでしょう。時代は、大正にさかのぼります大正8年に道路行政の基本法としての道路法(大正道路法)が制定され、翌大正9年4月1日から施行されることとなりました。この法令には、「道路元標ハ各市町村ニ一箇ヲ置ク」とされ、これにより当時の瀬川村にも「道路元標」が建てられたものと思われます。大正11年には、全国に12,315の市町村があったと言うことですから、全国で1万2千余りの道路元標が建てられたと言うことになります。 調べて見ると、近くでは瀬川村の他、移村、芦沢村、美山村、滝根村、都路村の道路元標の存在も確認できました。

 そして、この道路元標と道路元標の間を結びながら日本という国土に道路を敷設しようとする作業が始まりました。これはやがて、国道2000里、府県道2万1800里(国道は大正9年、府県道は郡道処分後の大正15年、いずれの数値も当時の新聞報道より)の道路網となって日本全国をカバーすることになったという事です。
 「瀬川村道路元標」、佐々木様よりお話を聞かなければ全く気にも留めていなかった存在でした。歴史を伝える大切な遺産です。交通量が多く、ゆっくり見ることはなかなか難しいかもしれませんが、近くをお通りの際は、存在を確認してみてください。子供達にも機会を見つけて伝えていきたいと思います。