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2015年8月の記事一覧

虫眼鏡 校長の自由研究⑧(石沢の神社、三匹獅子舞)

 瀬川小学校区で最も移地区に近い所にある石沢地区。ここにもすばらしい文化財があります。ここへ行くには、通常、県道50号線を行きますが。面川さんの案内で、新舘曲山地区より山道を通って石沢地区に入りました。農作業等で普段から使われる道ということで舗装はされていましたが、この道に慣れていないと対向車とすれ違う事も難しいのではないかと思われるほどの細い道でした。新舘地区と石沢地区を結ぶ国・県道以外の道路があることも新鮮な驚きでした。 その石沢地区には、熊野神社と鹿島神社が一つの社にまつられています。
 
 神社近くで畑仕事をしていた地域の方が、「この神社の彫り物は、すばらしいよ。」と話してくださいましたが、なるほど、立派な彫り物を社の正面に見ることができます。

熊野神社と鹿島神社の由来については、鳥居手前の説明板に書いてありました。

 これによると、熊野神社がこの地にまつられるようになったのは、延暦年間(782~805)の説と元永年間(1118~1120)の説があるようです。二つの説には、時間的に随分開きがありますが、いずれにせよ大きい区分でいうと、奈良時代末から平安時代ということになります。鹿島神社は、大同2年(807)に石沢字宮ノ脇地内にまつられていたものを明治の神合祀の布達によりこの地に遷し、熊野神社と鹿島神社として並祀されるようになったということです。熊野神社は、石沢村小田の住人本田太郎左衛門が紀伊国(現・和歌山県)より、鹿島神社は石沢村住人本田孫市が常陸国(現・茨城県)より、それぞれ石沢の地に祀ったものということです。また、参道には、二本の大杉をみることができます。これは、慶長元年(1596)年に植樹されたものといわれ、福島県緑の文化財に登録されているということです。
 
(県の「緑の文化財」に登録されている樹齢420年ほどの二本の大杉「熊野杉」と鹿島杉」)
 
 尚、石沢地区には「三匹獅子舞」が受け継がれており、熊野・鹿島神社の秋季例大祭で奉納されます。三匹獅子舞がいつ頃伝わったかはっきりとはしませんが、江戸時代後期に杉沢(現・二本松市岩代町杉沢)から習い請けたといわれています。瀬川小学校の子どもたちも、地区の方々(師匠とよばれる方々)から獅子舞を習い、この神社の境内で舞を奉納します。この「三匹獅子舞」は、平成17年4月18日に田村市指定無形民俗文化財になっています。子どもたちの獅子舞の様子は、秋に本ホームページで紹介したいと思います。