丸森日誌

日々の雑感をつれづれに・・・

世界の果ての通学路

世界には、日本の感覚では信じられないような環境で、学校に通っている子どもたちがいることを、「世界の果ての通学路」というDVDをみて知った。ケニアの少年は、サバンナ地帯を、ゾウなどの野生動物たちに警戒しながら、片道15kmを2時間小走りでかけて通っている。モロッコの山岳地帯に住む少女は、月曜の朝、片道22kmを4時間かけて全寮制の学校に通い、金曜の夕方同じ道を歩いて帰ってくる。なぜ、そのような大変な思いをしてまで、学校に通うのか。それは、「夢をかなえたいから」。学校で学ぶことで、自分の夢がかなえられることを信じ、そして、そのためにひたむきに努力しているのだ。その姿に、心が洗われる思いがした。そして、日本の子どもたちの中にも、その子どもたちと同じように、自分の夢や願いをかなえようと毎日学校に通っている子どもたちがきっといるに違いないと思った。その期待に、自分は応えられているか・・・と身が引き締まる思いがした。

巧遅と拙速

巧遅(こうち)とは、うまく上手にできても時間がかかって遅いこと。拙速(せっそく)とは、その逆で多少つたなくて上手ではないけれど速くできること。何か取り組んでいると、この巧遅と拙速が問題になる。いろいろな場面もあり、取り組んでいる内容によって一概に言えないのかもしれない。しかし、ことわざでは「巧遅は拙速に如かず(しかず)」。つまり、拙速の方がよいということになる。考えてみると、何か取り組む時には、大概期限が決められていることが多いように思う。だから、いつまでにこれこれを仕上げるようなことになる。その場合、最優先されるのは、何はともあれ決められた期限までに必ず間に合わせる(仕上げる)ことである。出来不出来はある意味その次だ。子どもたちの中にはじっくり時間をかけて取り組みたいというタイプの子どもはいる。こだわりをもって自分らしさを追究することはとても大切なことである。しかし、一方で与えられた時間を意識し、ゴールまでの見通しをもって取り組み、ある程度形にして間に合うことも大事なことである。また、速ければなんでもいい訳でもない。そういう意味でも、子どもたちには、いろいろな経験を通して、生きていく術を身につけさせたいと思う。

インフルエンザについて

インフルエンザについて詳しく話を聞く機会があった。興味深かったのは、インフルエンザウイルスに限らず、ウイルスというものは、自分単独では生存できないという点である。そこが細菌との大きな違い。だから、インフルエンザウイルスも風邪の原因のウイルスも、みな人間の細胞に付着することで生存するのであって、空気中に漂っているものではない。人混みの中がキケンなのは、人が集まれば、せきやくしゃみに混ざって飛び交うウイルスを吸ってしまう確率が高くなるから。それから、インフルエンザウイルスは、年間通じて存在する。ただ、冬場に罹患する人が増えるのは、気温の低下や体力の低下、空気の乾燥など、ウイルスにとって居心地の良い環境になるため。そして、やはりインフルエンザや風邪にかからないためには、体内に入ってきたウイルスをやっつけることができるだけの、免疫力を高めておくことが一番大事だということ。その基本は、栄養・運動・休養だということ。

雪雑感

今年の雪は、昨年のような一気にどかっと振るのではなく、粉雪状態で長時間降り続けるパターンが多いように思う。この冬で3回ぐらい続いている。弱い雪なので、まだ大丈夫かな?と思っていると、いつの間にかすごく積もっていることになる。しかし、15cm以上降り積もると、田村市で提携している地元の業者の方々が除雪してくれる。主要道路の除雪が終わり次第、学校の給食車の通路の除雪に入ってくれる。これは、すごくありがたい。また、地域の方々、保護者の方々も、子ども達の通学路の除雪をしてくださる。これもすごくありがたい。学校の職員だけでは、到底そこまでは手が回らない。ただただ感謝である。猪苗代のスキー場の方が、こんな話をしていた。今年の冬は、年内にたっぷり雪が降った。これは例年にはないことで、もしかしたら、早く雪が降った分、雪が降り終わる時期も早まるのではないかと。雪が全く降らないのも困ることだが、それでも早く溶けて暖かくなるのは、うれしいことである。あくまで仮定の話ではあるが・・・。

もうすぐ節分

昔から年中行事と呼ばれるものがある。正月、七夕、お月見などなど。この時期は、節分であろう。本来なら、年中行事は各家庭で行われるものであるが、今の時代、家庭ではやらなくなってきているものが増えているように思う。かくいう我が家も最近は月見や七夕はやっていない。ただ、豆まきだけは行っている。我が家は煎った大豆を半分まいて、残りを食べている。一方、学校では拾いやすいように落花生をまいている。今年も、児童会で豆まき集会が行われる。子ども達に日本の年中行事を伝えていくためにも、学校での取り組みはやはり意味があるのだと改めて思う。

流行り物

トップページの南っ子NEWSを見ていただければ分かる様に、子ども達の生活の中には、その時代時代の流行り物が顔を出す。例えば、買い物に行けば、至る所に「妖怪〇〇〇〇」だらけだ。こんなことがあった。幼稚園で新しくグループ分けをした時、グループごとに名前を付けさせたら、みな妖怪の名前のグループになったそうである。しかし、それも子ども達なりに理由があって、その名前の妖怪は、自分たちを守ってくれる妖怪なのだそうである。いやはや、このブームはどこまでも続きそうである。

脚下照顧

6年生の体験教室でお世話になったお寺の玄関口に書かれていたのが「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」の文字。意味は、「自分の足元を照らして、自分を顧みる」。わかりやすく言うと、脱いだ靴に自分の心の有様が現れるということ。脱ぎっぱなしのばらばらの靴は、自分の心も落ち着きをなくし、乱れている。だから、脱いだ靴をそろえることで、自分の心もそろえる。学校での生活の中でも、同じような意味で「乱れた机は心の乱れ」という状態がある。子ども達は、教室を移動する時、自分の席を立つ時、机の上をきれいにして、きちんと椅子を閉まっていく。しかし、机の上に物が出しっぱなし、椅子もしまっていないような状態は、その時のその子の心が落ちつかず乱れているからである。考えてみると、私たちの心は目に見えないのだけれど、実は言葉遣いやしぐさ、行動など目に見える形で現れるのである。

新しいことに取り組むには・・・

 卒業まであと〇〇日の掲示物が、6年教室にある。そのカレンダーを見ながら、1日1日を大事に過ごしていくことだろう。その卒業式に向けて、ピアノの伴奏練習に取り組んでいる子ども達がいる。その中の一人が、休み時間に音楽担当の先生に、練習をみてもらっていた。弾き方から指の動かし方まで、細かいアドバイスをいただきながら頑張って練習していた。
 何か新しいことに取り組むということは、それまでの何かを変えないといけない。その子も、休み時間を今までのように遊ばずに、ピアノ練習に取り組んだ。きっと、家でも、今までのテレビやゲームの時間を減らして、その分、練習することだろう。
 健気に、ひたむきに努力する子どもたち。応援せずにはおれない。

夢を語る場所

巷を賑わせている事件の少年は、小学校の卒業文集の自己紹介に「将来のゆめはない」ように書いていたそうである。その後、中学へ進学するも、同じ学級の仲間からも、存在感が感じられないような人だったようである。これらのニュースを見て、かわいそうになった。なぜなら、学校という場所は「夢を語る場所」でなければならないはずだからだ。確かに、現実は厳しい。けれでも、自分の将来に夢を描き、希望を持って生きていくことの大切さを学ぶところが学校なのだ。そして、そこにはその夢を語らう仲間がいる。学校という集団生活の中で、共に助け合い、支え合うから、自分は多くの人に助けられていることを知り、そして、自分も誰かの役に立っているという喜びを味わう。そういう自己有用感を味わわせるところが学校なのだ。決して、共に学ぶ仲間の存在を軽視してはならないのだ。授業中、隣で具合が悪そうにしている友達を見つけ、そのことをそっと先生に教えに来てくれる子どもがいる。そんな友達思いの優しい仲間に囲まれて、素直に育つ子どもたちの姿にほっとする。

立志式に思う

今日、田村市では立志式が行われた。昔の元服にちなんで、十五を祝う行事として、将来の決意や目標や明らかにする式である。また、孔子の論語にも「吾十有五にして学に志す。(私は十五歳のとき学問に志を立てた。)」とあるように、中学という義務教育を卒業して、いよいよ学ぶ目的を自分自身でしっかり持つ立場になることへの覚悟を決める機会でもある。この立志式のように、自分の生き方について考える節目のようなものは、やはり大事なのだと思う。20歳で迎える成人式もそうである。10歳になる4年生には、2分の1成人式というものもある。そして、6年生にとっては、卒業という大きな節目が待っている。私たちは毎日の目の前のやるべき事を追うばかり、ついこれまでの自分の生き方を振り返ることはなかなかない。しかし、時に今の自分を振り返り、お世話になっている人たちへ感謝の気持ちを持ち、自分の向かっている方向を確かめることを忘れてはならない。

絵本紹介

今日は、読み聞かせをすると、子どもたちに評判の良い絵本を紹介します。

「3びきのかわいいオオカミ」
タイトルを聞いただけで、子どもたちは食いつきます。そして、ストーリーも「3びきのこぶた」のパロディで、3びきのオオカミの兄弟が家を建てたり、そこに悪いおおぶたが登場したりと、ページをめくる度に大受けする展開です。しかし、ただのパロディで終わらないところも魅力のひとつです。オオカミたちは、最後に花の家を建てます。花なんかで作ったらいっぺんに吹き飛ばされちゃうんじゃないかと、子どもたちは一瞬息をのみます。すると・・・。この予想外のちょっと心温まるエンディングが、子どもたちへの読み聞かせにぴったりだと思っています。

インフルエンザ

報道等によると、例年より流行が早いようです。

毎年この季節には流行するインフルエンザですが、予防・治療のためにはいろいろとありますが、これが絶対というのはないようです。インフルエンザワクチンも、ある程度の発症を抑えたり重症化を予防したりする効果はあるものの、接種すればかからないというものではないそうです。

それでも、インフルエンザにはできればかからないようにしたいものです。考えてみると、インフルエンザが流行するというのは、周りにインフルエンザウイルスが多く存在していると考えられます。だから、同じ環境にいる人たちは、間違いなくインフルエンザウイルスが体内に侵入しているはずです。

それでも、全員がインフルエンザに感染するかというとそうではなく、かかる人もいればかからない人もいます。その違いはなんなのでしょうか。

おそらく、「体の免疫力=抵抗力の強さ」の違いなのでしょう。外部から侵入した異物をやっつけて感染を防げるか、そういう丈夫で健康な体になっているかが大事なのだと思います。その健康な体を作るのが、「栄養バランスの取れた食事」「適度な運動」そして「十分な休養(睡眠)」です。これは、すぐにできることではないかもしれません。でも、やはり一番大事なことなのだと思います。

校庭が・・・

年明けにまだ溶け残っていた校庭の雪も、もうすっかりなくなりました。しかし、溶けて水になったところが、今は凍ってスケートリンク状態になっています。安全確認で入ってみたら、つるつるでした。早速、集会の中で、凍っているところには入らないように話をしました。それにしても、ここ田村の冬は、気温がとても低く、太陽が出ていてもしばらくは溶けそうにないように思います。

七草

今日、1月7日は人日の節句と言うそうです。七草がゆを食べる日でもあります。七草がゆを食べると風邪をひかないとも言われています。「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ 春の七草」。短歌のリズムなので、何回か唱えれば覚えられそうです。一方、秋の七草は春ほどメジャーではないようですが、唱えやすいように並べてみました。「はぎ・おばな・ききょう・なでしこ・おみなえし・くず・ふじばかま 秋の七草」。いかがでしょうか。

田村は寒い?

年末の雪が全く残っていない矢吹町から阿武隈高原道路で船引町まで車を走らせた。
玉川村、平田村を過ぎ、最後のトンネルを抜けて小野町に入った時、「おや?」道路にこそ雪はなないのだが、周りの田畑にはうっすらと白い物が。そして、阿武隈高原道路を降りて、国道349号線で船引町方面へ。風越トンネルを抜けて、田村市に入ったら、またまた「おや?」なんと、小野町よりさらに周りの田畑に残っている雪の量が増えているではないか。気のせいか車の中なのに肌寒くさえ感じる。田村の寒さを改めて感じた瞬間だった。