丸森日誌

2015年1月の記事一覧

もうすぐ節分

昔から年中行事と呼ばれるものがある。正月、七夕、お月見などなど。この時期は、節分であろう。本来なら、年中行事は各家庭で行われるものであるが、今の時代、家庭ではやらなくなってきているものが増えているように思う。かくいう我が家も最近は月見や七夕はやっていない。ただ、豆まきだけは行っている。我が家は煎った大豆を半分まいて、残りを食べている。一方、学校では拾いやすいように落花生をまいている。今年も、児童会で豆まき集会が行われる。子ども達に日本の年中行事を伝えていくためにも、学校での取り組みはやはり意味があるのだと改めて思う。

流行り物

トップページの南っ子NEWSを見ていただければ分かる様に、子ども達の生活の中には、その時代時代の流行り物が顔を出す。例えば、買い物に行けば、至る所に「妖怪〇〇〇〇」だらけだ。こんなことがあった。幼稚園で新しくグループ分けをした時、グループごとに名前を付けさせたら、みな妖怪の名前のグループになったそうである。しかし、それも子ども達なりに理由があって、その名前の妖怪は、自分たちを守ってくれる妖怪なのだそうである。いやはや、このブームはどこまでも続きそうである。

脚下照顧

6年生の体験教室でお世話になったお寺の玄関口に書かれていたのが「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」の文字。意味は、「自分の足元を照らして、自分を顧みる」。わかりやすく言うと、脱いだ靴に自分の心の有様が現れるということ。脱ぎっぱなしのばらばらの靴は、自分の心も落ち着きをなくし、乱れている。だから、脱いだ靴をそろえることで、自分の心もそろえる。学校での生活の中でも、同じような意味で「乱れた机は心の乱れ」という状態がある。子ども達は、教室を移動する時、自分の席を立つ時、机の上をきれいにして、きちんと椅子を閉まっていく。しかし、机の上に物が出しっぱなし、椅子もしまっていないような状態は、その時のその子の心が落ちつかず乱れているからである。考えてみると、私たちの心は目に見えないのだけれど、実は言葉遣いやしぐさ、行動など目に見える形で現れるのである。

新しいことに取り組むには・・・

 卒業まであと〇〇日の掲示物が、6年教室にある。そのカレンダーを見ながら、1日1日を大事に過ごしていくことだろう。その卒業式に向けて、ピアノの伴奏練習に取り組んでいる子ども達がいる。その中の一人が、休み時間に音楽担当の先生に、練習をみてもらっていた。弾き方から指の動かし方まで、細かいアドバイスをいただきながら頑張って練習していた。
 何か新しいことに取り組むということは、それまでの何かを変えないといけない。その子も、休み時間を今までのように遊ばずに、ピアノ練習に取り組んだ。きっと、家でも、今までのテレビやゲームの時間を減らして、その分、練習することだろう。
 健気に、ひたむきに努力する子どもたち。応援せずにはおれない。

夢を語る場所

巷を賑わせている事件の少年は、小学校の卒業文集の自己紹介に「将来のゆめはない」ように書いていたそうである。その後、中学へ進学するも、同じ学級の仲間からも、存在感が感じられないような人だったようである。これらのニュースを見て、かわいそうになった。なぜなら、学校という場所は「夢を語る場所」でなければならないはずだからだ。確かに、現実は厳しい。けれでも、自分の将来に夢を描き、希望を持って生きていくことの大切さを学ぶところが学校なのだ。そして、そこにはその夢を語らう仲間がいる。学校という集団生活の中で、共に助け合い、支え合うから、自分は多くの人に助けられていることを知り、そして、自分も誰かの役に立っているという喜びを味わう。そういう自己有用感を味わわせるところが学校なのだ。決して、共に学ぶ仲間の存在を軽視してはならないのだ。授業中、隣で具合が悪そうにしている友達を見つけ、そのことをそっと先生に教えに来てくれる子どもがいる。そんな友達思いの優しい仲間に囲まれて、素直に育つ子どもたちの姿にほっとする。