丸森日誌

日々の雑感をつれづれに・・・

続 出会いと別れ

出会いは大切。ならば、やはり、別れも大切になる。別れは寂しい。その人との関係が深ければ深いほど、別れがたくなる。そして、別れた後、深い悲しみが心に残る。ぽっかりと穴が空いたような気持ちになる。時に、なかなかその悲しみから立ち上がれないことさえある。中国の昔のお話。子どもを亡くした母親が、あまりの悲しみから、その子の亡骸をずっと抱いたままいた。そのうち、亡骸は腐りかけ、それでも母親は放そうとしなかった。そこで、一人の僧が、その母親に「おまえの死んだ子を生き返られてあげよう」と話しかけた。母親は「どうしたらよいか」尋ねると、「悲しみを知らない人を探すことができたら、生き返られてあげよう」と僧は答えた。そこで、母親は、街中の家々を尋ね歩き、悲しみを知らない人を探した。しかし、ある家では、家族を事故で亡くし、ある家では、家族が重い病で苦しんでいた。親を幼い頃に亡くして、独りで生きている子どもにも会った。自分と同じように幼い子をなくした人にも出会った。そうして、探し歩くうちに、その母親は気づいた。それは、悲しみを背負って生きているのは、自分だけでないことに。そして、その母親は、声をかけた僧にお願いして、亡くなった我が子の弔いをしたのだった。悲しみは、つらい。しかし、その悲しみをきちんと受け止めることで、私たち人間は、他の人の悲しみを感じることができるのだ。相手の気持ちが理解できるのだ。そういう意味で、どんな別れも、きちんとお別れすることが大事なのだと、私は思う。

出会いと別れ

この時期は毎年のように、出会いと別れが繰り返される。今までどれほどの先生方や子どもたちと出会い、そして別れたことだろう。生きていれば、この出会いと別れは避けて通れない。そういう意味で、出会いと別れはすごく重要な意味を持つ。結論から言おう。それは、「運命は、誰と出会ったかで決まる」。およそ70億人が住むこの地球上において、同じ学校、同じ職場でその人達と出会う確率は、ものすごく小さいはずである。それは、まさに奇跡的な出会いと言える。そして、その人と出会ったことで、間違いなく自分の人生は影響を受け、変化していく。そういう意味で、それは運命的な出会いとも言えよう。時に、出会いたくないと思う人との出会いもある。それでも、その人と出会ったことで、某かの影響が、自分の人生にあるとするならば、それもやはり運命の出会いなのだ。「運命は、誰と出会ったかで決まる」そう考えると、せっかく運命的な出会いをしたわけだから、どんな人との出会いも、しっかりと受け止めたくなる。自分が主役のこの人生の舞台に、わざわざ登場してくれた全ての人との出会いを、まずはしっかりと受け止めたくなる。それが、「感謝」だ。自分と出会ってくれてありがとう、という気持ちをもつことだ。そのように、出会う人に感謝の気持ちをもって生きていく人の人生が、素晴らしい人生にならないはずがない。私はそう思っている。

チェンジするチャンス

毎年、思うことだが、6年生たちは卒業式を終えて、どんな気持ちなのだろうか。今まで通った小学校を去る寂しさだろうか。お世話になった先生方とお別れする悲しさだろうか。それとも、卒業したことの喜びや中学校というまだ未知の世界へ進むことへの不安だろうか。これは、大人でも子どもでも全ての人に言えることだが、自分にとって、今いるところが自分の世界なのである。いつ、どこで、だれと、どのようにしていても、今自分がいるところが自分の世界。だから、その自分の世界は常に変化し続けている。そして、その時その時に、自分の気持ちも変化し続けている。その瞬間、その瞬間にはいろいろな気持ちだったとしても、過ぎてしまえば、それはもう過去のこと、それ以上に今の瞬間の世界に切り替わっていく。そんな世界を私たちは生きているのである。そう考えると、小学校の卒業は、やはり一つの大きな節目なのかもしれない。言い方を変えると、小学校卒業は、自分を大きく変えるためのチャンスとも言える。いろいろな意味で、今までの自分から、新しい自分へチェンジするチャンスなのかもしれない。

返事について

ある地区の中学校の卒業式に出席した。厳粛な雰囲気の中で、中学生のすばらしい態度に感動した。式歌の歌声がまたすごかった。その中で、やはり注目したのは返事である。あの広い式場の中で、何百人といる中で、なんと堂々とした返事ができていたことか。きりっとした、はっきりとした「はい」という返事が響き渡ると、なんとも清々しい気持ちになった。こんな返事ができる中学生がすごくかっこよく、たくましく思えた。先日、本校の卒業式練習があった。その中で、証書授与の練習で、数名の6年生が呼名された。「はいっ」。こちらの返事も、実にはっきりと、力強く、堂々とした返事であった。この丸森日誌でちょうど1年前に、この卒業式における返事について書いた。卒業式で行う返事は、ただの返事ではない、ということを書いた。そこには、いろいろな思いが込められ、そして、今の自分ができる最高の返事でなければならないと思っている。そういう返事が、最初の練習から聞かれたことが、とてもうれしい。やはり、練習でできないことは本番でもできないからだ。きっと23日当日は、今以上に気持ちのこもった、素晴らしい返事が、式場に響き渡るにちがいない。楽しみである。

本物のすばらしさ

3月11日の福島民報朝刊に、「ふくしま新生へ挑戦」と題したメッセージが掲載されていた。その中で、震災から立ち上がり、福島県民は新たな挑戦をしていることや、その確かな成果が生まれていることが書かれていた。そこには、たくさんの苦労があり、ものすごく努力し続けていることだと察する。本当に頭が下がる思いである。特に、原発事故による影響、その後の風評被害は、なかなか簡単には解決できないことであった。それでも、震災から5年を経て、いろいろな面で変化が見られるようになった。記事にも、コメの全袋検査で基準値を下回ったことや県産野菜等の海外での輸入規制解除、魚介類の試験操業の拡大、そして、福島県産の日本酒の鑑評会における最高ランク評価獲得など、未来に向けた明るい期待が紹介されていた。そして、その後に続く言葉を読んで、ぐっと胸に迫る物を感じた。「福島県産は本物だ。世界で最も厳しいレベルの検査を経て出荷される。安全は折り紙付き、味は極上、品質は一流。世界ブランドとして堂々と売り込み、風評を払拭しよう。」そうなのだ。私たち福島県では、うそ、偽りのない、正真正銘、「本物」をつくっているのだ。微塵もごまかしなどない。安全で、安心して口にできる、そして、美味しいものなのだ。これが「本物のすばらしさ」だ。本物には力がある。きっと世界中の人に理解してもらえる、そう信じている。