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校長室より

9月7日

今日は二十四節季の15番目、「白露」です。「白露」とは、夜中に大気が冷え、草花や木に朝露が宿り始めるころという意味です。今日は晴れていますが、ここ数日の涼しさ?は秋の気配を感じさせました。今日、富士山にも今年初めての雪が降ったようです。季節の進み具合は早いものです。

9月6日

9月に入り本当に雨の日が多くなっています。今日も雨です。駅伝大会も終わり、あとは、新人戦に向けて運動部は練習に励んでいますが、今週は定期テストがあります。水、木とテストになりますが、生徒たちは計画的に勉強に取り組めているでしょうか。自分の中学時代、うん十年前になりますが、一夜漬けだったような気がします。今の生徒たちはどうなのでしょうか。しっかりと勉強して、テストに臨んでほしいものです。

9月3日

夏休みが明けて2週目が今日で終わろうとしています。昨日は駅伝大会があり生徒たちが走る姿、順位はどうあれ、一生懸命さに感動した日でした。来週は、定期テストとなります。自分の学習状況を振り返る大切なテストです。分からないところ、できないところをしっかりと復習して、テストに臨んでほしいなと思います。

前期後半が始まりました

今日、8月25日から前期後半が始まりました。前期の終了は10月8日です。夏休みが終わるとすぐに、英語弁論大会、合唱連盟の大会、駅伝大会と対外行事がたくさんあります。夏休み中にも、田村市の少年の主張や音楽祭がありました。夏休みといっても、その間に練習や部活動、学習会があり、本当にフリーな時間は生徒にも限られていたことと思います。しかし、今日全員とまではいきませんでしたが、生徒が大きな事故やケガがなく登校し学校が動き出したのは本当にうれしく思います。田村市は新型コロナウイルス感染症が落ち着いている状況ですが、全国的にはまだまだ流行の一途です。保護者の皆様のご協力をいただきながら冬休みまでを乗り切っていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

7月9日

七夕も過ぎ、今日から家庭訪問、進路相談が始まります。夏休みをどう過ごすのか、すべての生徒にとって大切な夏休みとなります。1・2年生は部活動に、3年生は受験勉強へと積極的な取り組みをしてほしいと考えます。

7月1日

今年も七夕飾り始めました。中学生だとあまり短冊を書かないのかと思いきや結構生徒たちは願い事を書いています。これだけデジタルの時代となってもアナログ的なものは、伝統的な行事はやはりやらなければならないと思いました。7月7日の七夕、昨年度は天気が悪く天の川を見ることが出来ませんでしたが、今年は願い事が叶うように、ぜひ良い天気になってほしいものだと思っています。7月3日、土曜日、授業参観等大変お世話になります。

田村支部陸上大会から

5月12日(水)に田村支部陸上大会が開催されました。昨年度は新型コロナウイルス感染症の流行により中止となりました。短い期間の中での練習ではありましたが生徒たちは大会に参加したことの充実感を味わうことが出来たようです。大会を経験したことで、スタートラインでのドキドキ感、思うように跳んだり、走ったりできなくて悔しい思い、いろいろと感じることができたようです。体験、経験することの大切さを感じました。

自転車通学

今日の朝も冷え込みがきつかったなと思いました。福島市内の果樹農家では花が霜にやられてしまい実がなるかどうか心配されています。そんな中、本校の生徒たちは自転車に乗って通学してくる生徒が多いことに昨年から驚かされています。今日は自転車が22台駐輪場に並んでいました。すごいぞ!大中生!

修学旅行を終えて

4月13日~15日、本校は山梨県富士北麓地域へ修学旅行に行ってまいりました。実施に向けて様々なご意見をいただきましたが、最後は学年保護者代表の皆様の後押しが実施の判断となりました。現在は、県外への旅行ということで、3年生をはじめ、学習旅行で日光へ出かけた2年生、引率した教員と2週間の健康観察を行っています。修学旅行は非常に良い天気とまではいきませんでしたが、見学などに支障はなく(カヌー体験はできませんでしたが)日程を消化できました。富士山も一日だけでしたが見ることができました。3年生にとって思い出に残る修学旅行になってくれればと願います。

2月14日

昨晩の地震で被害はなかったでしょうか。10年前の東日本大震災を思い出させました。その時私はT中の教頭でした。職員室などがめちゃめちゃになったのを憶えています。また、当時、妻が大熊町の小学校に勤めていて、いつまでも帰ってこなかったので、小学校まで2往復したのを思い出しました。国道288号線を車で行ったのですが、朝方の2回目の時に、バスに乗ったたくさんの白い服の人たちとすれ違ったり、道端に立っているのを見かけました。何があったのかその時はよくわかりませんでしたが、その後の顛末は皆さんがご存知の通りです。