瀬川っ子 頑張っています!

花丸 全校朝会

 
 4月13日(月)本年度第1回目の全校朝会がありました。朝会時の校長の話は、子ども達が、「なるほど・・・。」と思ったり、勇気ややる気が湧いてきたりするような内容にする事を心がけています。第1回目の話は、「二宮金次郎」について話をしました。瀬川小学校には、校門脇に二宮金次郎の像が建っていますが、以外と子どもたちは知らないのではないかと思ったからです。話を初めて見ると、像の存在は知っていても誰の像なのかということは知らない子がほとんどでした。子どもたちには、以下の様な話をしました。

みなさん、おはようございます。

今日は、この像についてお話をします。

1.この像を見たことがありますか?

2.この像は、だれのどうぞうですか。

3.なぜ、まきを背負って本を読んでいるでしょう。

 それでは、二宮金次郎がまきを背負って、本を読んでいる訳をこれからお話します。

二宮金次郎は天明7年(1787年)に小田原市(神奈川県)の裕福な農家に生まれ安政3年(1856年)に70歳で亡くなりました。(今から159年前)生まれた頃は裕福でしたが、川の氾濫で田畑を失い、お父さんは金次郎が14歳の時に、お母さんは16歳の時になくなりました。
 そこで叔父さんに預けられるのですが、ある夜 明かりをともして本を読んでいると叔父さんに怒られたのでした。「お前は誰のおかげで飯を食っているのだ。油がもったいない。」というのです
 金次郎は今度は空き地に菜種を植え、出来た菜種と油を交換して本を読むのですが、また叱られるのです。お前の時間は俺の時間だ。お百姓に学問はいらないというのです。それから始まったのが、左の写真にあるように、槙を背負い歩きながら本を読む姿なのです。

やがて金次郎は叔父さんの家から独立し、自分の生まれた家を元通りにすることに取り掛かりました。そして一生懸命勉強を続け、一生懸命はたらき、無駄遣いはせず、24歳でもとどおりの裕福な家にしました。それを知った小田原藩士服部家の建て直しを頼まれ、これも成功する事が出来ました。それが広まり今度は小田原藩の分家にあたる桜町領(栃木県二宮町)の再興を頼まれたりして、生涯に615の村々を立て直したといわれています。
 金次郎は桜町領を再興するときに、武士の位を授けられ二宮尊徳となりました。

 先生は、二宮金次郎について調べて見て、勉強をする事は大切なことだと思いました。また、人のために働く事は、その人を幸せにするだけでなく、やがては、自分自身を幸せにする事に繋がって行くのだなと言うことを感じました。

ちょっと前まで、ほとんどの小学校には、二宮金次郎の銅像がありました。それには、一生懸命勉強して、自分のため人のため働ける立派な人に育って欲しいという人々の願いが込められていたのだと思います。