瀬川っ子 頑張っています!
2016年5月の記事一覧
「天気と気温」「電気のはたらき」4年理科
5月27日(金)、天気は雨。朝9時の気温は、18度。
今日は、4年生の理科の勉強について紹介します。4年生は現在、2つの単元を一緒に勉強しています。一つは「天気と気温」という単元、もう一つは「電気のはたらき」と言う単元です。今日の天気は雨。雨の日の一日の気温の変化を午前9時から午後3時まで1時間毎に観察し記録していきます。午前9時から午後3時まで7回観察記録をしなければなりませんので6人で分担し記録することにしました(9時は、○○さん、10時は・・・というように・・)。「晴れの日」「曇りの日」も今日と同じように観察記録する予定です。そして、それらのデータを考察することで、天気と気温の関係をまとめていきます。
↓ 1時間毎に、分担して、百葉箱の温度計で気温を調べる子供達
3校時目の理科の時間は、「電気のはたらき」の単元に入りました。今日は、3年生までの電気の学習を振り返ったあと、モーターを使ってプロペラを回すことをめあてにしました。製作したプロペラを回すと、回る向きが違う友達がいます。そこから、電流の向きとモーターの回転の向きの関係を調べる実験につなげて行きます。今日は、プロペラを回す前に、時間切れとなってしまいました。次時に頑張ります。
↓ 設計図を見ながらモーターで回るプロペラを一生懸命作成する子供達。
今日は、4年生の理科の勉強について紹介します。4年生は現在、2つの単元を一緒に勉強しています。一つは「天気と気温」という単元、もう一つは「電気のはたらき」と言う単元です。今日の天気は雨。雨の日の一日の気温の変化を午前9時から午後3時まで1時間毎に観察し記録していきます。午前9時から午後3時まで7回観察記録をしなければなりませんので6人で分担し記録することにしました(9時は、○○さん、10時は・・・というように・・)。「晴れの日」「曇りの日」も今日と同じように観察記録する予定です。そして、それらのデータを考察することで、天気と気温の関係をまとめていきます。
↓ 1時間毎に、分担して、百葉箱の温度計で気温を調べる子供達
3校時目の理科の時間は、「電気のはたらき」の単元に入りました。今日は、3年生までの電気の学習を振り返ったあと、モーターを使ってプロペラを回すことをめあてにしました。製作したプロペラを回すと、回る向きが違う友達がいます。そこから、電流の向きとモーターの回転の向きの関係を調べる実験につなげて行きます。今日は、プロペラを回す前に、時間切れとなってしまいました。次時に頑張ります。
↓ 設計図を見ながらモーターで回るプロペラを一生懸命作成する子供達。
樹木選定ありがとうございました。(通学路の安全確保のために)
瀬川小学校は、国道349号線と県道50号線が交わる場所に建っています。通学班によっては、車の通行量が多い中を通学しています。
大倉班の通学路は、一部国道を通るようになっています。そして、樹木により見通しがきかない場所がありました。このたび、樹木の持ち主の方のご理解とご協力により剪定作業が行われとても見通しが良くなりました。ありがとうございました。また、この件につきまして、お力添えをいただきました、新舘区長様、交通安全協会瀬川分会長様、大倉老人会長様にも深く御礼申し上げます。ありがとうございました。
大倉班の通学路は、一部国道を通るようになっています。そして、樹木により見通しがきかない場所がありました。このたび、樹木の持ち主の方のご理解とご協力により剪定作業が行われとても見通しが良くなりました。ありがとうございました。また、この件につきまして、お力添えをいただきました、新舘区長様、交通安全協会瀬川分会長様、大倉老人会長様にも深く御礼申し上げます。ありがとうございました。
お話し会(1,2年生)
給食後の1,2年生は、教室でお話し会です。ドングリの会より読み聞かせの先生がお二人いらっしゃいました。
今日、お話を聞かせていただいたのは・・・・
「大きなかぶ」(絵本もとても大きかったです。
「命のおはなし」「ニューゴ」「100かいだての家」の4つのお話でした。
お昼休みのひととき、子供達は目を輝かせてお話に聞き入っていました。
今日、お話を聞かせていただいたのは・・・・
「大きなかぶ」(絵本もとても大きかったです。
「命のおはなし」「ニューゴ」「100かいだての家」の4つのお話でした。
お昼休みのひととき、子供達は目を輝かせてお話に聞き入っていました。
瀬川なかよし運動会のまとめの一つとして・・・。
5月26日(木)、曇りですが、なんだか蒸し暑い日となっています。朝、7時に20度だった気温が12時現在26度まで上がっています。
さて、地区の皆様のご協力により、盛大に行う事ができた瀬川なかよし運動会。そのまとめの一つとして、優勝ペナントをつけた、児童紅白対抗の優勝旗と優勝カップ、地区対抗の優勝トロフィーを児童昇降口に飾りました。子供達は、それらを観ながら、「来年も!」とか、「来年こそ!」とか、来年の運動会へ思いを巡らしています。
2年生が、運動会について作文を書いてきてくれました。紹介します。
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うんどう会
うんどう会でこんどこそかてるとおもったら、白ぐみがまけて赤ぐみがかってしまいました。
なので、らい年こそかちたいとおもいました。1,2年生がでたきょうぎは、10こあります。60メートルそうや40メートルそうや、玉いれやいろいろありました。でも、くやしかったけど、たのしかったです。
さて、地区の皆様のご協力により、盛大に行う事ができた瀬川なかよし運動会。そのまとめの一つとして、優勝ペナントをつけた、児童紅白対抗の優勝旗と優勝カップ、地区対抗の優勝トロフィーを児童昇降口に飾りました。子供達は、それらを観ながら、「来年も!」とか、「来年こそ!」とか、来年の運動会へ思いを巡らしています。
2年生が、運動会について作文を書いてきてくれました。紹介します。
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うんどう会
うんどう会でこんどこそかてるとおもったら、白ぐみがまけて赤ぐみがかってしまいました。
なので、らい年こそかちたいとおもいました。1,2年生がでたきょうぎは、10こあります。60メートルそうや40メートルそうや、玉いれやいろいろありました。でも、くやしかったけど、たのしかったです。
6年生ブックトーク(会津の歴史について)
5月25日(水)、田村市立図書館より橋本先生が、会津の歴史に関する本をどっさり持って来校して下さいました。そして、子供達に本を見せながら会津の歴史についてお話をして下さいました。
6年生は、来月、23、24日と会津旅行に出かけます。会津の歴史を主に学習してきます。しかし、ただ行くだけでは、何にも分かりません。そこで、事前にある程度勉強しておこうというわけです。今日のブックトークを契機として、先生が持って来て下さった本をできるだけ読んで、旅行の日を迎えてほしいと思います。(この旅行には、5年生も行きます。5年生は、主に伝統工芸について学んできます。)
↓ 橋本先生が持って来て下さった中に、このような本がありました。
この本の表紙になっているのが、「郡長政(こおりながまさ)」という会津藩の少年です。郡長政とは、いったいどんな少年だったのかというと・・・。
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郡長政は、会津藩家老、萱野権兵衛(かやのごんべえ)の次男。父が戊辰戦争の会津藩の責任を一身に背負い、切腹したことから家族は萱野姓を名乗ることが出来なくなり、母の姓「郡」を名乗りました(先祖の姓という説もあり)。
成績優秀だった長正は、選ばれて小笠原藩(今の福岡県)の育徳館に留学。学問や武道など精神鍛練に励む毎日を送っていましたが、ある日郷愁を覚えた長正は、母に会津の干し柿(みしらず柿)が食べたいという旨を手紙に書き送ります。しかし、届いた返事は次のような厳しい内容でした。
「おまえは斗南(会津藩がとりつぶされて流された青森県下北の地)へ行った人々の苦労を知っていますか。会津の武士の子が食物のことをあれこれ言い柿を送ってくれとは見下げ果てた根性です。再びこのようなことを言ってよこすならおまえは萱野権兵衛の子ではありません」
長正はショックを受けると同時に深く反省し、戒めとしてその手紙を大切に持ち歩いていましたが、ある日館内で落としてしまいます。それを拾って読んだ小笠原藩士の子弟に大衆の面前で罵られ、深く責任を感じた長正は死んで恥をそそぐと表明。そして一同の見守る中で切腹して果てました。
会津士魂を辱めたと感じた長正にとって、この出来事は『ならぬことはならぬ』という教えの中の『ならぬ』ことだったのです。
長政の墓は、会津若松市の「天寧寺」にあります。 (八重のふるさと福島県より)
6年生は、来月、23、24日と会津旅行に出かけます。会津の歴史を主に学習してきます。しかし、ただ行くだけでは、何にも分かりません。そこで、事前にある程度勉強しておこうというわけです。今日のブックトークを契機として、先生が持って来て下さった本をできるだけ読んで、旅行の日を迎えてほしいと思います。(この旅行には、5年生も行きます。5年生は、主に伝統工芸について学んできます。)
↓ 橋本先生が持って来て下さった中に、このような本がありました。
この本の表紙になっているのが、「郡長政(こおりながまさ)」という会津藩の少年です。郡長政とは、いったいどんな少年だったのかというと・・・。
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郡長政は、会津藩家老、萱野権兵衛(かやのごんべえ)の次男。父が戊辰戦争の会津藩の責任を一身に背負い、切腹したことから家族は萱野姓を名乗ることが出来なくなり、母の姓「郡」を名乗りました(先祖の姓という説もあり)。
成績優秀だった長正は、選ばれて小笠原藩(今の福岡県)の育徳館に留学。学問や武道など精神鍛練に励む毎日を送っていましたが、ある日郷愁を覚えた長正は、母に会津の干し柿(みしらず柿)が食べたいという旨を手紙に書き送ります。しかし、届いた返事は次のような厳しい内容でした。
「おまえは斗南(会津藩がとりつぶされて流された青森県下北の地)へ行った人々の苦労を知っていますか。会津の武士の子が食物のことをあれこれ言い柿を送ってくれとは見下げ果てた根性です。再びこのようなことを言ってよこすならおまえは萱野権兵衛の子ではありません」
長正はショックを受けると同時に深く反省し、戒めとしてその手紙を大切に持ち歩いていましたが、ある日館内で落としてしまいます。それを拾って読んだ小笠原藩士の子弟に大衆の面前で罵られ、深く責任を感じた長正は死んで恥をそそぐと表明。そして一同の見守る中で切腹して果てました。
会津士魂を辱めたと感じた長正にとって、この出来事は『ならぬことはならぬ』という教えの中の『ならぬ』ことだったのです。
長政の墓は、会津若松市の「天寧寺」にあります。 (八重のふるさと福島県より)
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学校の連絡先
〒963-4436
福島県田村市船引町新舘字軽井沢746
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