2015年8月の記事一覧
TBC・TUFこども音楽コンクール
瀬川小学校の演奏は、1番目ということで朝、7時に学校を出発しました。8時50分には、会場に着きましたが、まだ会場が開いていません。
(会場が開くのを待っています。)
9時10分に会場が開き、早速、リハーサル室に入り、リハーサルを行いました。楽器運搬や設置は、お家の方に手伝っていただきました。ありがとうございました。
(保護者の方々が見守る中で最終調整を行いました。)
そして、本番!
19人が心を一つに、気持ちを込めて演奏を披露しました。結果はみごと「優良賞」をいただきました。大きな会場で、大勢の方々の前で演奏できたことは、子どもたちにとって大きな経験・財産となったことと思います。演奏の模様は、後日、TUF(テレビユー福島)で放映されます。予定が分かり次第、本ホームページでもお知らせいたします。
特設合奏部の活躍は、10月22日の県大会を含め、まだまだ続きます。
明日は・・・・・。
また、特設合奏部の皆さんは、喜多方プラザで行われるTBC・TUFこども音楽コンクールに出場します。
雨の中のPTA奉仕作業
↑(雨の日の朝5時30分、まだ辺りは、薄暗いです。この頃は、雨が強く降っていました。)
↑(7時近くになると少しずつ明るくなり、雨も小降りになってきました。)
はなまる研修
(新舘の追分に立ち、自由民権運動の壯士に思いをはせました。)
(185段?の長い階段をのぼり、日渡(ひわたり・ひわたし)神社を散策しました。
「馬籍の図」「算額」など田村市指定の文化財を直に見てきました。
EM菌の培養液を作りました。
子どもたちは、お家から2リットルのペットボトルに米のとぎ汁を持って来ました。
(2リットルというと、2㎏以上あります。たいへんだったかな・・・)そのとぎ汁に①EM菌を入れます。
次ぎに②EM菌をいれた米のとぎ汁に糖蜜を加えます。
③よく混ぜて出来上がりです。
しばらく、ねかせて、プールなどに入れる予定です。そうするとプール水があまり汚れず
来年、お掃除が楽になるそうです。
日頃の学校生活は、こんな風です。
算数タイムが終わると「朝の会」の時間です。
1年生教室では、「田村っ子ルール10」をみんなで読んで、今日は、何を特に注意していくか話合っていました。
2,3年教室では、朝の歌を歌っていました。
朝の会が終わると1時間目の授業です。4・5年生教室に行くと、算数の授業です。今日は、4年生も5年生も練習問題に取り組んでいました。4年生は、そろばんを使って小数のたしざん、ひきざんなどの問題を、5年生は、公倍数などの問題を解いていました。担任の先生と一緒に個別指導を行いました。
校庭の花壇には、夏の花の他に、秋の主役コスモスも咲きはじめました。黄色のコスモスもとても良い感じです。
特設合奏部、録音をしてきました。
(一生懸命演奏して・・・・)↓
3回演奏を録音していただいて・・・CDが3枚できました。↓
夏休み明け全校朝会
はじめに・・・ 「七夕書写展」「市水泳大会」「地区音楽祭の表彰を行いました。」
その後、校長の話として以下の様な話をしました。
・夏休み中大きな事故もなく、また、互いにまた会えたことは、とてもうれしいこと。
・夏休み中、特設クラブの活動をよく頑張ったこと。
・プールにも毎日通い体を鍛えられたこと。
・盆踊りの太鼓打ちなど、地域の一員としての役割をしっかり果たせたこと。
・家族と楽しい時間を過ごせたこと。
そして、本ホームページでも紹介した「蛇盛塚と紫川の由来」を昔話風に語って聞かせ、瀬川の人々は、昔から一生懸命に生きてきたこと。そんな地域に誇りを持って、先人に負けないようがんばっていこう、という話をしました。
最後に、全校生で、合奏部の演奏を聴きました。
さあ、夏休み後、学校も本格的にスタートしました。子どもたち一人一人に目を向け、子どもたち一人一人が満足できる教育活動を展開していきたいと思います。
本日より学校再開です。
朝から小雨模様のはっきりしない天気ですが、本日より学校が再開しました。このところの悪天候のせいか、発熱により2名欠席ということで全員が揃わなかったのは残念ですが、大きな事故も無く38日間の夏休みが終了できたことは何よりの喜びです。ちょっと教室をのぞいて回りました。すると・・・・
↑ 夏休みの思い出を絵と文で書いていました。
↑ 互いの自由研究を見せ合っていました。
↑ 宿題帳の確かめを行っていました。 教室の棚には、すでにいくつかのすてきな作品が提出されていました。 ↓
夏休み最終日となりました。
8/24(小雨降る瀬川小学校)
田村地区音楽祭「金賞」受賞!
そして、子どもたちの活躍を支えたのは、保護者の皆さんの温かい応援でした。
校長の自由研究⑧(石沢の神社、三匹獅子舞)
神社近くで畑仕事をしていた地域の方が、「この神社の彫り物は、すばらしいよ。」と話してくださいましたが、なるほど、立派な彫り物を社の正面に見ることができます。
熊野神社と鹿島神社の由来については、鳥居手前の説明板に書いてありました。
これによると、熊野神社がこの地にまつられるようになったのは、延暦年間(782~805)の説と元永年間(1118~1120)の説があるようです。二つの説には、時間的に随分開きがありますが、いずれにせよ大きい区分でいうと、奈良時代末から平安時代ということになります。鹿島神社は、大同2年(807)に石沢字宮ノ脇地内にまつられていたものを明治の神合祀の布達によりこの地に遷し、熊野神社と鹿島神社として並祀されるようになったということです。熊野神社は、石沢村小田の住人本田太郎左衛門が紀伊国(現・和歌山県)より、鹿島神社は石沢村住人本田孫市が常陸国(現・茨城県)より、それぞれ石沢の地に祀ったものということです。また、参道には、二本の大杉をみることができます。これは、慶長元年(1596)年に植樹されたものといわれ、福島県緑の文化財に登録されているということです。
(県の「緑の文化財」に登録されている樹齢420年ほどの二本の大杉「熊野杉」と鹿島杉」)
尚、石沢地区には「三匹獅子舞」が受け継がれており、熊野・鹿島神社の秋季例大祭で奉納されます。三匹獅子舞がいつ頃伝わったかはっきりとはしませんが、江戸時代後期に杉沢(現・二本松市岩代町杉沢)から習い請けたといわれています。瀬川小学校の子どもたちも、地区の方々(師匠とよばれる方々)から獅子舞を習い、この神社の境内で舞を奉納します。この「三匹獅子舞」は、平成17年4月18日に田村市指定無形民俗文化財になっています。子どもたちの獅子舞の様子は、秋に本ホームページで紹介したいと思います。
ミニ発表会(合奏部)
田村地区音楽祭を明日に控えて、校内でミニ発表会を行いました。
発表会には、先生方や陸上部の子どもたちが集まりました。
合奏部一人一人から明日の音楽祭に向けての抱負の発表がありました。
(抱負を発表する合奏部長)
その後、すばらしい演奏を聴きました。
演奏を聴いた後は、陸上部一人一人から感想を発表した後、陸上部長から激励の言葉がありました。
(激励の言葉を述べる陸上部長)
「人事を尽くして天命を待つ」
悔いのないよう精一杯演奏してきて欲しいと思います。
校長の自由研究⑦(古室神社と王寺神社)
これが、「古室神社」です。
社の正面には、見事な彫刻がなされています。ここは、安産を祈願する神社ということです。色鮮やかな布で作られた枕が奉納されているのが分かります。安産祈願に来た方がここから枕を借りて行き、無事出産後は、新たな枕を奉納するということです。社の中の天井には、絵が描かれており、また、母親が赤子にお乳をあげる様子を描いた絵馬なども奉納されていました。
隣には、王子神社の社が建っています。
この王子神社には、算額が奉納されており、社の隣には、田村市教育委員会が建てた算額についての説明看板がありました。
この看板によると、ここに奉納されている算額は、平成17年4月18日に田村市指定民俗文化財となっています。以下、書かれている内容をまとめて記載します。
・ここに奉納されている算額は天保10年(1839年)夏の奉納で船引町内では一番古い物である。
・奉納者は、門鹿村(現 田村市船引町門鹿)の箭内清融である。
・箭内清融は、佐久間庸軒の父である佐久間質の門人であった。
・佐久間質の門下に入ったのは、天保6年(1835年)12月8日。
・箭内の算額の奉納は入門後3年目であり、門人の中でも優れた存在であった。
・箭内清融は、同じ年に東和町の木幡山辨財天神社にも算額を奉納。
・東和町の算額には、「天保10年春」とあることから、王子神社の算額と対をなす物と考えられる。
残念ながら、王子神社の算額は、写真に撮ることはできませんでしたが、興味のある方は、検索サイトで「王子神社 算額」と検索してみてください。画像を紹介しているページがあります。また、2つの神社の境内には、大倉神社と同じく神楽殿が建っています。
参道には、ホトトギスという美しい花も咲いていました。(名前を面川さんに教えていただきました。)
今日も課外活動がんばっています。(合奏・陸上)
合奏部は、今週末の音楽祭に向けて、今日は、1日中練習です。今日も、4年前まで顧問だった大室先生が来てくださいました。
大室先生を間に、マリンバ担当の2人がなにやら打合せをしています。
本番を間近に控え、すてきな演奏に仕上がって来ています。
一方、陸上部もお盆明け2日目の練習です。
まずは、基本の動きを練習します。
続いて、ダッシュ!!前傾姿勢がカッコいいです。
持久走も・・・
そして、走り幅跳びです。
校長の自由研究⑥(門鹿の蛇盛塚と紫川)
蛇の嫌いな私は、なんだか気になる看板でした。この看板に従って進むと、個人のお宅に入ってしまうのではないかという直前に見事な桜があり、石碑が建っています。
これが「蛇盛塚のしだれ桜」です。春には見事な花を咲かせ、桜の名所となっています。夜は、ライトアップされ昼とは違った美しさを見せてくれます。こんなすばらしい桜の場所になぜ「蛇盛塚」などという名前がついたのでしょう。その由来が、隣りに建つ石碑に記されています。
「蛇盛塚としだれ桜の由来」と題された石碑には、次のように記されています。
『言伝えによると西暦830年頃(天長年間)鹿又字舘地内を曲流する流水を稲田に導くための工事を行った。それは、至難の工事である為、村を挙げてその役に従事し漸く工事の完成を見る頃 この地に巣くっていた大蛇を発見 数十人でこれを退治したといわれ、この大蛇の胴体からの血潮が川水に混じると紫色の川となり七昼夜にわたりこの川下を紫色に染めて流れ、人々はこの川を紫川と呼んだという。この大蛇の頭は、川を流れに流れ、この川下一里余門鹿の樋の口に流れ着き門鹿住民がこれを拾い上げ、幕の内地内に葬った (中略)
それがこの蛇盛塚(通称 蛇盛稲場)である。(中略)また、桜は、西暦1870頃(明治初期)飛田家の祖先が三春滝桜の地より求めこの蛇盛塚に植樹した (後略)』
この説明をまとめると・・・・
・平安時代の初期に、鹿又字舘地内(現 美山小学校学区)において、川より稲田に水を引く大工事を行った際に大蛇が現れ、数十人の村人によって頭を切られ退治された。
・大蛇の胴体から出る血潮により7昼夜にわたり川が紫色に染まった。以来、この川は、「紫川」と呼ばれるようになった。
・大蛇の頭は、川下の門鹿地区(現 瀬川小学校学区)の樋の口(といのくち)まで流れ着きそこで住民によって葬られた。これが「蛇盛塚」である。
・桜は、明治時代に入ってから、飛田氏が三春町より苗を求め、この塚に植樹した。
美山小学校の北側、移ヶ岳の登山口付近は、紫川の最上流にあたる場所で、大蛇伝説の元となった場所です。大蛇伝説と紫川の由来、蛇盛塚の由来について記載された看板が立っています。
写真:(大蛇伝説,紫川の由来,蛇盛塚の由来について書かれた看板)(紫川の源流)
瀬川の学区には、今も「紫川」が流れています。
今日の瀬川小学校(午後)
沢先生!お忙しい中ご指導ありがとうございました。
今日の瀬川小学校(午前)
校舎の上空には、巻雲(絹雲)が・・・・秋の雲ですよね。
花壇には、初雪草の白がサルビアの赤と絶妙のコントラストを見せてくれています。
陸上部の練習も開始です。
先生方が応援してださっています。
そんな合奏部の練習している横には、子どもたち一人一人のがんばりたい事がかかれています。
いくつか、紹介します。
校長の自由研究⑤(大倉の太々神楽)
(大倉神社境内にある神楽殿)
大倉の太々神楽は、平成17年4月18日に「田村市指定無形民俗文化財」に指定されています。以下、田村市教育委員会により掲げられた説明書きより引用します。
田村市指定無形民俗文化財
大倉の太々神楽
由来等
大倉の太々神楽は大倉神社秋季例大祭に境内の神楽殿で奉納されています。江戸時代後期、神楽の師匠として活躍した國分大隅(神社の西側に顕彰碑が建っています)が大倉神社の神職に就いていたことが縁で、村人たちに神楽を教えたのがその始まりとします。演目は「小神楽」・「大神楽」の合わせて三十六座を伝えますが、県内でもこれほどの演目数を伝えるところはそうはなく、また出雲流神楽の古風な姿を良く継承していることからも、その価値は高い物といえます。保存会が熱心に後継者育成に取り組み郷土の貴重な芸能を守っています。 ( 田村市教育委員会)
(教育委員による説明書きと國分大隅の顕彰碑)
瀬川小の子どもたちもこの神楽を地域の方よりご指導いただき、舞っています。そして、9月6日(日) 12:00開場、13:00開会で須賀川市文化センター大ホールで行われる「第54回 福島県芸術祭開幕行事」において、神楽舞を披露いたします。是非、足をお運びいただきご覧ください。
1 第54回福島県芸術祭開幕式典・開幕行事について
本年度の芸術祭は、須賀川市の開幕行事を皮切りに90の行事が県内各地で催され
ますので、是非御覧いただく とともに、参加体験されてはいかがでしょうか。
皆さんの御来場をお待ちしております。
◆ 開催月日 平成27年9月6日(日曜日) 13時00分~16時00分
◆ 開催場所 須賀川市文化センター大ホール
(住所:須賀川市牛袋町11 電話:0248-76-7777)
♣ 開幕式典 13時00分~13時30分
♣ 開幕行事 13時40分~16時00分
《 出演団体:7団体(出演順) 》
ア:浅川地雷火太鼓(浅川町) イ:論田獅子舞保存会(古殿町)
ウ:大倉太々神楽保存会(田村市) エ:桜正会(鏡石町)
オ:K.M.C合唱団(郡山市) カ:駒形念仏保存会(平田村)
キ:須賀川市立第一小学校マーチングバンド部(須賀川市)
お問い合わせ先 須賀川市教育委員会 文化・スポーツ課 ℡ 0248-88-9172
( 福島県ホームページより)
夏の思い出
ヒャクニチソウ、ケイトウ,芙蓉などの花々。
夏の主役のひまわり。たんぽぽの花もよく見るときれいですよね。
アスパラガスの実、カボチャとナスの花です。そして、これは、何か分かりますか?
これは、サトイモの葉っぱと花豆(正式には、ベニバナインゲン)です。花豆は、高原の気候に適した作物です。船引町でも栽培しています。花は、赤と白があります。白は、変種で、できる豆も白色です。花をアップで撮影すると・・・・こんな感じです。
子どもの頃は、「花嫁ささぎ」と呼んでいました。赤と白の花が咲くので、おめでたい花嫁さんのようだというところからそう呼んでいたのかなと想像します。
畑からの帰り、道ばたにはコスモスの花も咲いています。
お盆が過ぎ、秋の足音がもうそこまで近づいています。
校庭整地ありがとうございました。
校長の自由研究④(大倉神社)
大倉神社はもとは、移川近くにあったそうですが、昭和31年頃に現在の位置に移されたということです。なぜ、移されたかについては、台風等による移川の増水でたびたび被害にあったからではないかという話がありますが、真相はどうなのでしょうか。
鳥居の横には、やはりいくつか石碑が見られます。
まず「甲子(きのえね)」」の碑ですが、調べて見ると、「甲子(きのえ・ね)の日に、禍を転じて福を授けてくれる大黒天を祀り、夜遅くまで飲食をともにしながら語り合う行事であったそうです。大黒天の使いとされた子(ねずみ)、子の刻、つまり真夜中まで起きていたようです。甲子塔は、六十年に一度めぐってくる甲子に合わせて石碑を建てることが多かったようです。次に「巳待塔」という碑について調べて見ると、己巳(つちのと・み)の日に、講が集まって夜遅くまで精進するものだそうです。主尊は弁天(べんてん)。七福神の一人で弁財天とも呼ばれ、水の女神としても知られています。水と巳(へび)とは関連があり、水害などに悩まされた地方で、よくこの巳待ちが行われたと言います。弁天を祀って、水を鎮めるという意味があったのでしょう。ここにも、旧街道の碑でまつられていた弁財天が登場します。さらに、養蚕の盛んな土地では蚕を食べる鼠避けとして蛇(巳)神は養蚕農家の守護神であったそうです。尚、巳は、弁財天の使いとされていました。子(ねずみ)と巳(へび)をまつった碑が近くにあるというのが興味深く感じます。
お盆の時期になります。
まず、花壇の様子は・・・ こんなです。
そして、学校農園は、こんな様子です。
実は、学校農園は、草が伸び放題の状態でした。なんとかしなければと思っていたところ、なんと、今年度、「学校支援地域本部事業」で「畑の先生」としてご指導いただいている橋本先生がご夫婦で日曜日に来校され、きれいに除草してくださったということです。ありがとうございました。さらに昨日は、トウモロコシの成長が良くないということで、追肥もしていただきました。本当にありがとうございました。
校長の自由研究③(旧街道に建てられた碑)
今回案内していただいた中には、まず、こんな物がありました。
これは、自由研究①で記載した追分の道標近くに立つ塔です。前面には、「廿三夜塔(にじゅうさんやとう)」と彫ってあります。今まで目にしたことのない塔でしたので、調べてみました。それによると、これは、月待塔(つきまちとう)とよばれるもので、 特定の月齢の夜に集まり、月待行事を行いその記念として造立した塔であり月待信仰塔ともいわれるものだそうです。尚、月待行事とは、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事だそうです。室町時代には既に行われており、江戸時代の文化・文政のころ全国的に流行したそうです。特に普及したのが二十三夜に集まる二十三夜行事で、二十三夜講に集まった人々の建てた二十三夜塔は全国の路傍などに広くみられるそうです。私が生まれ育った会津にも所々に残っているということで、もう何度か目にしているのかもしれません(見ようとしない眼には、何も見えません)。新舘の廿三夜塔も江戸時代に建てられたものでしょうか。
旧街道を新舘から大倉方面に進むと、藪の中に2つの碑が建っています(ただ、道を歩いているだけでは見えません。面川さんが、「ここに碑があるんだ」と草をかき分けて見せてくださいました。)
前面に「寛政七年 秋葉大権現 乙卯十月日」とあります。秋葉大権現とは、
「火除けの神」だそうです。
この碑の横には・・・
前面には、「享和元年 辨才天供養 辛酉十二月日」とあります。前述した秋葉大権現の碑が、寛政7年(1795)、この辨才天供養碑が享和元年(1801)ですから、この碑は、6年後に隣りに建てられたということになります。共に江戸時代後期の造立です。辨才天は、辨財天、辨天等とも称され、音楽、知恵、財物、また、水の神として信仰された女神ですが、この碑を造立した当時の人々の願いや思いは、何だったのでしょうか。
田村市地区音楽祭に向けての会場練習
保護者の皆様には、楽器運搬、大変お世話になりました。
※楽器は、保護者の皆さんの自家用車で運搬していただきました。
※会場(田村市文化センタ―)への楽器搬入、セッティングも保護者の皆さんにお世話にな
りました。
午前中、1時間ほどの練習でしたが、演奏はもとより、入退場の仕方など一生懸命取り組むことができました。
地区の音楽祭は、以下の日程・場所で行われますので是非、お出でください。
日 時 平成27年8月21日(金)
場 所 田村市文化センター
※ 13:30頃発表予定です。
かき氷、はじめました・・・
そんな合奏部の子どもたちに差し入れとして・・・なにか、楽しめるものはないかな?
と考え、結局「かき氷」にしました。
練習の合間の休憩時間を活用して、自分たちでかき氷を作って、食べました。
今日は、いちご味だけでしたが、好評につき来週は、新たな味を加えることにしました。
校長の自由研究②(日渡神社)
(写真は、日渡神社参拝のしおり より)
この神社のはじまりは、平安時代【天喜二年(1054年)】日渡山と称されたこの地に、暗夜光明を放つ奇石が飛降したことから始まります。この石を蚕種子石(こたねいし)として崇め、堂宇を建立しました。当初は、満願寺の観音堂であり、本尊は千手観音菩薩(慈覚大師 作)。江戸時代は、観音巡りの場所でした。その後、明治二年(1869年)の廃仏毀釈により、日渡神社と改称されました。堂内には、絵馬「馬籍の図」二面が奉納され、その絵馬には、江戸時代後期の三春領西北部26村で飼育されていた馬、880余頭が飼い主名と共に描かれています。当時、馬産が如何に盛んだったかを物語る資料でありまた、そこには、良馬繁殖を願う人々の心が現れています。この絵馬は、田村市指定の有形民俗文化財に指定されています。
絵馬「馬籍の図」 嘉永二年(1849年) 絵師 雲龍齋移岳
(写真は、日渡神社 参拝のしおり より)
さらにもう一つ、神社正面に掲げられた「算額」です。最上流和算家佐久間庸軒のもとで、新舘からも多くの人たちが和算を学んでいました。この算額は、明治21年(1888年)に奉納された物ですが、14名による奉納の内6名が、新舘の人です。文字、彩色とも判断しにくくなっていますが、11題の算題からなっています。この算額も田村市有形民俗文化財に指定されています。)
(神社の正面に掲げられた算額 手前の龍の彫刻もみごとです。)
この他、神社境内には、この神社のお堂をつくる切っ掛けとなった奇石「蚕種子石」があります。この石は、養蚕の仕事が始まる時期になるとその表面に蚕の卵のような模様が浮き出るということでした。養蚕豊饒の願いを込めて、人々がこの石をお参りしたのでしょう。
今では、この瀬川地区で養蚕を行っている方は、1名となってしまったということです。
(日渡神社蚕種石、「蚕種神」の文字が彫られています。2枚目の写真は、写真を赤ペンでなぞった物です。2枚を見比べてください。)
(文章は、「日渡神社参拝のしおり」「田村市教育委員会の説明看板」、面川氏のお話より記載しました。)
校長の自由研究①(旧街道北ん坂と道標)
下の写真は、旧相馬街道の追分(分岐点)に建つ供養塔を兼ねた道標です。
この道標の側面には、「左、二本松、川又」「右、百目木、相馬」とあることから、左の道を行くと二本松、川又へ、右の道を行くと百目木、相馬へ続いていたということが分かります。また、前面には「南無阿弥陀仏」と彫ってあります。「天明八年戊申十月吉日施主九人女」とあることから二百十数年前の天明の飢饉の際の犠牲者を供養するための塔でもあることが分かります。
旧相馬街道は、自由民権街道とも呼ばれ、自由民権運動の盛んだった三春町と相双地区を結ぶ重要な街道で、当時多くの自由民権運動家が行き来したといわれています。街道筋である船引町には、多くの自由民権運動家がおり、その数は、県内一だったということです。しかし、相馬、百目木への道は、いまは、草に覆われ、わずかにその面影を残すのみです。
(道標付近の説明書き 掲:新舘行政区文化財保存会)
本年度のプールは終了です・・・
監視等のご協力ありがとうございました。
合奏部、休まずみんながんばっています。
練習の様子をのぞいてみると・・・・
今日の練習メニューがホワイトボードに書かれています。
演奏曲目と楽譜です。・・・
暑さ対策として・・扇風機は欠かせません。
練習の合間には、差し入れでいただいたおやつで一息・・・
そして、また、心を一つに練習を開始します。
休むことなく、毎日練習に励む子どもたちの頑張りに拍手を送ると共に、毎日、学校に送りだしていただいているお家の方々に心より感謝いたします。
8月4日 夏休み18日目です。
上の写真は、おなじみのマリーゴールドですが、丈が長いように感じます。通常良く目にするのは、下の写真のような丈の短いものですよね。
実は、丈の短いマリーゴールドは、人工的に改良されたもので、種をとりながら繰り返し何年も育てていくと、元の丈の長いマリーゴールドに戻っていくということでした。丈の長いマリーゴールドもこれはこれで良いナーと思います。その他にも、多くの花たちが競い合うように咲き誇っています。
〒963-4436
福島県田村市船引町新舘字軽井沢746
TEL