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虫眼鏡 校長の自由研究②(日渡神社)

 下の写真は、新舘地区にある日渡神社(ひわたりじんじゃ)です。
 
                    (写真は、日渡神社参拝のしおり より)
 この神社のはじまりは、平安時代【天喜二年(1054年)】日渡山と称されたこの地に、暗夜光明を放つ奇石が飛降したことから始まります。この石を蚕種子石(こたねいし)として崇め、堂宇を建立しました。当初は、満願寺の観音堂であり、本尊は千手観音菩薩(慈覚大師 作)。江戸時代は、観音巡りの場所でした。その後、明治二年(1869年)の廃仏毀釈により、日渡神社と改称されました。堂内には、絵馬「馬籍の図」二面が奉納され、その絵馬には、江戸時代後期の三春領西北部26村で飼育されていた馬、880余頭が飼い主名と共に描かれています。当時、馬産が如何に盛んだったかを物語る資料でありまた、そこには、良馬繁殖を願う人々の心が現れています。この絵馬は、田村市指定の有形民俗文化財に指定されています。
 
    絵馬「馬籍の図」 嘉永二年(1849年) 絵師 雲龍齋移岳  
         (写真は、日渡神社 参拝のしおり より)

  さらにもう一つ、神社正面に掲げられた「算額」です。最上流和算家佐久間庸軒のもとで、新舘からも多くの人たちが和算を学んでいました。この算額は、明治21年(1888年)に奉納された物ですが、14名による奉納の内6名が、新舘の人です。文字、彩色とも判断しにくくなっていますが、11題の算題からなっています。この算額も田村市有形民俗文化財に指定されています。)
 
        (神社の正面に掲げられた算額 手前の龍の彫刻もみごとです。)
  
  この他、神社境内には、この神社のお堂をつくる切っ掛けとなった奇石「蚕種子石」があります。この石は、養蚕の仕事が始まる時期になるとその表面に蚕の卵のような模様が浮き出るということでした。養蚕豊饒の願いを込めて、人々がこの石をお参りしたのでしょう。
今では、この瀬川地区で養蚕を行っている方は、1名となってしまったということです。
 
 (日渡神社蚕種石、「蚕種神」の文字が彫られています。2枚目の写真は、写真を赤ペンでなぞった物です。2枚を見比べてください。)
    
  (文章は、「日渡神社参拝のしおり」「田村市教育委員会の説明看板」、面川氏のお話より記載しました。)